ハニワくん
先生
アラブの春って何?わかりやすく簡潔に教えて!
ある事件をきっかけに中東で大規模に広まった、民主化を求める革命やデモ・暴動です。
ハニワくん
博士
チュニジアのブアジジという青年が、役所の女性職員から暴行と侮辱を受けました。
どう訴えかけても相手にされないことに憤慨し、ブアジジはガソリンをかぶって焼身自殺し、命を懸けた主張に出たのです。イスラム教を含むアブラハムの宗教(ユダヤ、キリスト、イスラム教)では自殺することを禁じており、また火葬の習慣もありません。この周辺諸国にはアブラハムの宗教を重んじる人であふれていたため、彼が行ったその『焼身自殺』は大きな衝撃を与えました。
そしてそれをその場に駆けつけたブアジジの従兄弟のアリ・ブアジジが、事件直後の現場の様子を携帯電話で撮影し、その日の夕方、フェイスブックへ映像を投稿し、それが世界各地に広がり、瞬く間に暴動につながったのです。
- ジャスミン革命
- エジプト革命
- リビア内戦
- イエメン騒乱
- アルジェリア騒乱
- モロッコ騒乱
- サウジアラビア騒乱
- ヨルダン騒乱
- レバノン騒乱
- イラク騒乱
- クウェート騒乱
- バーレーン騒乱
- オマーン騒乱
- シリア内戦
実に広範囲に渡ってデモ・暴動・革命が起きました。その理由は、アラブ諸国には他にも多くの独裁国家や専制国家が存在していたからです。
中東の人々
こうして中東で大規模な民主化を求める革命が起きたのです。しかし、2010年から始まったシリア内戦は現在も続いていて、2016年の時点で30万人以上、2018年の時点で36万人以上、そして最終統計結果では46万人を超えてしまっています。更に、ここにアメリカとロシアの影響も加わってしまっていて話が複雑化し、いまだに完全に解決しないままとなってしまっています。
博士
ハニワくん
先生
アラブの春
『アラブの春』『シリア内戦』
聖地サウジアラビアを侮辱したことでビン・ラディン登場!9.11の『アメリカ同時多発テロ事件』はこう起きた!
上記の記事の続きだ。イラク戦争の時のアメリカの強引な手法は、イラクや周辺地域の混乱を招き、その中から『イスラム国(IS)(2006年10月15日 – 現在)』という、より過激なイスラム組織を生み出すことになってしまった。また、
- チュニジア
- エジプト
- リビア
- イエメン
当で2010年から2013年にかけて『アラブの春』といわれる民主化を求める動きが広がった。
チュニジア『ジャスミン革命』
アラブの春は、2010年12月18日に始まったチュニジアのジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。チュニジアの経済状況は悪いわけではなかったが、
- 失業率:14%
- 若者層に絞れば:30%
近いという高い水準であり、これらの世代では経済成長の恩恵を受けられないことに不満がたまっていた。また、1987年に無血クーデターによって政権を獲得したベン=アリー大統領は、イスラム主義組織および労働者共産党に対し抑圧を行い、ある程度の経済成長は果たしたものの、一族による利権の独占といった腐敗が進んでいた。
- 一部の権力者の特権の乱用
- ぞんざいに扱われる民衆
- その体制が23年も続いてしまう
こういった条件が揃ったことにより、暴動が起こってしまったのだ。こういうことは世界の歴史でよくみられることである。例えば『フランス革命』だ。当時のフランスは、絶対王政の時代。度重なる対外戦争や宮廷の浪費がフランスの財政を大きく圧迫し、そのしわ寄せが国民の多数を占める第三身分の『平民』に来ていた。
国王 |
第一身分 | 聖職者 | 約12万人 |
第二身分 | 貴族 | 約40万人 |
第三身分 | 平民(市民、農民) | 約2450万人 |
フランス革命のときも、上が権利を独り占めし、下がその恩恵を得られず、理不尽な格差に不満が溜まっていた。
『フランス革命』の原因はルイ14世?ルイ16世?それともマリー・アントワネット?
焼身自殺したモハメッド・ブアジジ
このチュニジアで起こった『ジャスミン革命』では、モハメッド・ブアジジが焼身自殺した事件をきっかけに、反政府デモが国内全土に拡大した。露天商だった彼は、果物や野菜を街頭で販売し始めたところ、販売の許可がないとして地方役人が野菜と秤を没収、さらには役所の女性職員から暴行と侮辱を受けた。どう訴えかけても相手にされないことに憤慨し、ガソリンをかぶって焼身自殺し、命を懸けた主張に出たのだ。
イスラム教を含むアブラハムの宗教(ユダヤ、キリスト、イスラム教)では自殺することを禁じており、また火葬の習慣もない。彼がムスリムだったかどうかは定かではないが、そうである可能性が高く、また、そうじゃなかったとしてもこの周辺諸国にはアブラハムの宗教を重んじる人であふれていたため、彼が行ったその『焼身自殺』が与える衝撃は大きかった。
そしてそれをその場に駆けつけたブアジジの従兄弟のアリ・ブアジジが、事件直後の現場の様子を携帯電話で撮影し、その日の夕方、フェイスブックへ映像を投稿し、それが世界各地に広がり、瞬く間に暴動につながったのだ。
[モハメドを「チュニジアの英雄」として称えるデモ(2011年、パリ)]
ベン=アリー大統領は、かつてのルイ16世やマリー・アントワネット同様、国外に亡命。だが、フランスのサルコジ大統領には入国拒否される。そこでサウジアラビアへ亡命。大統領一族も財産をもってこぞって逃亡するが、ベン=アリー前大統領が去ったあとの親族の豪邸では暴徒が略奪行為に走る等の騒ぎに発展。ベン=アリー前大統領はサウジアラビア亡命後、
- 前政権時代の公金横領
- 土地不正取得
- 暴力扇動
- 麻薬密売
- 殺人容疑
などで起訴され、本人不在のまま軍事法廷が開かれた。その結果、
- 暴力扇動では懲役20年
- 公金横領では懲役35年
- 殺害容疑では死刑
が求刑されている。
しかし、サウジアラビアがベン=アリー前大統領の身柄引き渡しに応じる可能性は低く、実際に刑が執行されることはないと推測されている。
[反政府デモ]
SNSで瞬く間に広がる
こうした革命は、SNSを駆使して情報が共有され、拡散したため、アラブ諸国を中心に、国境を越えて短期間で広がっていった。アラブ諸国には他にも多くの独裁国家や専制国家が存在していたのだ。
- エジプト
- アルジェリア
- モーリタニア
など一部の国では、今回の例を真似て焼身自殺を図る人も出てしまった。
リビアのカダフィ大佐の悲惨な末路
また、チュニジアに隣接しているアラブ国家であるリビアでは、ムアンマル・アル=カダフィ大佐による独裁政権に対してリビア国民が反旗を翻した。
[ムアンマル・アル=カッザーフィー]
カダフィ大佐は、
- チャド
- ナイジェリア
- エリトリア
などアフリカ人の傭兵を用いて力づくでそれを鎮圧しようとするが、その鎮圧は成功しなかった。カダフィ大佐は拘束時に受けた攻撃により死亡した。当時、ボコボコになって衰弱し、生きているか死んでいるかもわからない状態のカダフィ大佐を掴んで興奮している民衆の姿が、テレビを通して全世界に放映された。
アラブの春の概要
[カルロス・ラトゥッフによる風刺漫画。チュニジアでの政権崩壊がエジプトのムバーラク政権を始めとする周辺諸国に広がる様。]
更に、小規模なデモを入れれば、
- モーリタニア
- 西サハラ
- スーダン
- ジブチ
- ソマリア
といった地域でもデモ・暴動が行われ、反政府活動はそこかしこで勃発してしまった。まるで、堰を切ったダムの水のように、長い間抑えられてきた不満のエネルギーが、ブアジジの焼身自殺によって爆発したのである。
2010年から始まったシリア内戦は現在も続いていて、2016年の時点で30万人以上、2018年の時点で36万人以上、そして最終統計結果では46万人を超えている。シリアにはアサド大統領がいて、彼が反政府デモを徹底的に弾圧。しかし、それが火に油を注ぐことになったのだ。
[政府軍に狙撃を行っている反政府側の兵士]
暗躍するアメリカとロシア
このシリア内戦がここまで長期化し、そして泥沼化しているのは、彼らの背景にまたも『アメリカ、ロシア』の陰がちらつくからだ。
シリア国内の三勢力と介入する国々
アサド政権 | ロシア |
反政府組織 | アメリカ、トルコ、EU等の有志連合 |
IS |
イスラム国を名乗る『IS』はイラク、トルコ、サウジアラビア、クルド人、アメリカ、ロシア等々を含めてすべて敵ばかりで単独行動だが、行動が過激で、爆発力があり、侮れない。また、アサド政権にはロシア、反政府組織にはアメリカや有志連合がいるため、この三勢力がひしめきあって、中々自体が終結しないのである。
シリアでは今も内戦が続いていて、2200万人いたシリア国民の半数がこの影響で難民になってしまった。
[ヨルダンの難民キャンプ]
該当する年表
SNS
参考文献