仏教の開祖 釈迦(画像)
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仏教の開祖。『ブッダ』とは、『悟りを開いた者』という意味。『釈迦(しゃか)』とは本人が『釈迦一族』出身であることによる、通称のようなもの。インド語で『シャカムニ』、漢字では『釈迦牟尼』。釈迦一族の聖者という意味が込められていて、よく言う『釈迦』とはその略語である。
本名は『ゴータマ・シッダールタ(シッダッタ)』である。いわゆる『お釈迦様』とはこのブッダ(釈迦)のことであるが、本人は、『個人の崇拝をするな。答えは自分の中にある』と言い続け、崇拝の的となることを拒否し、また偶像崇拝が生まれることも望んでいなかった。『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
ほかの宗教と違って聖典に開祖の伝記を含めなかったのは、ブッダが繰り返し個人崇拝を否定していたためである。
仏像などを作ってそれを崇めること。
ちなみに仏像があぐらをかいているのは瞑想中(悟りを開いている最中)の釈迦、タイなどで見かける寝転がっている仏像は『涅槃仏(ねはんぶつ)』と言い、悟りを開いてから(ブッダとなってから)死ぬまでに過ごした釈迦の姿『ということ』、あるいは80歳で入滅(死去)するまでの45年間、毎晩1時間、この涅槃像の姿で説法をしていたと説明される事もあるという。
[仏涅槃図(部分、高野山金剛峯寺所蔵、平安後期)]
しかし、一見すると楽をしている様に見えるその涅槃仏は、病に侵されて衰弱している釈迦の姿である。チュンダという加治屋に食事を馳走になったが、それで食中毒になり、それが原因でこの世を去ることになった。だが、釈迦は弟子のアーナンダにこう言った。
『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
仏伝が、超自然的なエピソードを無条件に取り入れたのは確かであり、ある日を境に、真理の追求のために一切を放棄した人物の伝記に、奇跡や超人的な偉業を付け加えたのである。
紀元前460年頃、現在のネパールのインド国境に近いルンビーニで生まれた。灌仏会(かんぶつえ)は、釈迦の誕生を祝う仏教行事である。日本では原則として毎年4月8日に行われる。
降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)の別名もある。釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が旧暦4月8日に生誕した伝承に基づいている。
父はシャーキャ一族(釈迦一族)の王シュッドーダナで、母はマーヤー。29歳の頃、王子の身分を捨て、修行僧となる。釈迦は言った。
そして35歳でいわゆる『ブッダ(覚者、悟った者)』となり、世に『涅槃(ねはん。簡単に言うと、この世の苦しみからの解放の術(すべ))』を説いた。80歳没。
涅槃というのは『さとり』〔証、悟、覚〕と同じ意味であるとされる。本当の意味は、『人間の本能から起こる精神の迷いがなくなった状態』ということで、そうなると、それは死ぬときだということになる。生きている間は、人からあらゆる『精神の迷い(煩悩)』はなくならないからだ。
参考文献『四人の教師』
[涅槃図(19世紀)]
更に言うと、釈迦は29歳までありとあらゆる快楽を味わい、35歳までの6年間でありとあらゆる苦行を味わった。しかし、釈迦が『苦しみからの解放』を見極めた『ブッダ(悟りを開いた者)』になったのは、快楽も苦行も関係なく、それが終わった後の『瞑想(内観)』による、自分の心と向き合う時間が決め手だった。その瞑想の期間は『一週間』だった。
参考文献『超訳ブッダの言葉』
もちろん、その2つの経験は内観の質に極めて大きな影響を与えただろう。極めて贅沢な経験、極めて過酷な経験、それは瞑想のとてもいい『素材』になったはずである。
釈迦は29歳で旅に出たわけだが、その時彼には妻も子供もいた。それなのに旅に出るということで、多くの人は疑問を浮かべる。例えば、『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』(海竜社)にはこうある。
悩みに悩んだ挙句、子供が生まれた直後に『家族を捨てる』決意をしたのです。父親が子に残せるもの、それは名前ーということで、ゴータマはこう命名しました。『ラーフラ(妨げ・邪魔)』と。そして真夜中にフイと姿を消してしまったのです…。『ひどい!』とご立腹の方々が大勢いると思います。おっしゃる通り、ブッダは『親』としてはとんでもない人です。妻を捨て、子供を捨て、一族を捨てて、しかも子につけた名前が『邪魔』なんて…。父親失格、人間失格です。正直申し上げて、ブッダ自身は家族に悩む人のモデルにはなりません。
たしかにそう考えるだろう。しかし、例えば手塚治虫の『ブッダ』では、こういうシナリオを描いている。
彼が結婚したのは『本当に好きな人 』ではなく、本当に好きな人は、身分が違うという理由で目を焼かれ、無理やり引き裂かれた。そして、王を継ぐことを約束するならその女性の命を助けるとして、無理やり強制された。
このように考えるとまた全然印象が変わってくるだろう。事実、釈迦の親は筋金入りのバラモン教徒(現ヒンズー教)であり、そのような『カースト制度(身分差別)』の考え方は常識的だった。釈迦は王子としてその子供に生まれ、将来、その王の座を受け継ぐことが決定していた。王の座を受け継ぐということは、『蔓延している価値観』を受け継ぐということでもある。もし釈迦がそういう『意志』を無視した強制的な生き方を強いられることに拒絶反応を示していたなら、彼が外へ旅に出るということもうなづけるようになる。
また違う一説によると、釈迦が妻と子供を置いて旅に出ようとするとき、妻に、
と引き止められ、そこで釈迦は、『悪魔』という意味の、
と言った。ここまでは通説通りである。これを浅薄に考えると釈迦は単なる冷酷人間だが、実はそこにあるのは『子供への執着』であるという。つまり、自分の家族のことが大事だという感覚が自分にあり、しかしそれは『自分本位な感情であり、博愛的ではない』という葛藤があった。つまりこの感情の揺れを『天使と悪魔の葛藤』とした場合、『悟りを開こうという志』が天使、子供が『悪魔(自分の志を揺り動かす驚異的な存在)』、であるということになるのだ。
つまり、釈迦はそれだけ名残惜しかった。自分の家族との別れが辛かった。だが、それは自分本位な感情であり執着。そういう気持ちを人間全員が持ってしまうからこそ問題が起きてしまう。だからこそ釈迦は、自分がまず率先して子供や家族への執着を捨てることを決意し、そう行動したのだという。そう考えると先ほどの『父親失格、人間失格』という考え方よりもうんと深い境地を見れる。
『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
こうして宮殿を立ち去ることになるのだが、その前に最後の未練がなかったわけではなかった。それは、ラーフラ(文字通りには『障り』を意味する)を名付けた、生まれたばかりの息子への未練であった。だが、いったん妻の部屋に入り、別れを告げようとするとラーフラに近づいて抱こうとした時、後ずさりした。王子は抱くことで子供に執着し出発を断念することを恐れた、と仏伝は記している。それゆえ、背を向けて宮殿から立ち去った。
この引用を受けて先ほどの見解を書いたのではない。こうしていくつかのところで同じ見解を出していることが見受けられるのである。
また、『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
宮殿で、若き王子シッダールタはこの世のすべての楽しみを満喫していた。仏伝によれば、遊女はあらゆる肉体の快楽を惜しみなく与え、香りの良いお風呂を用意し、王子が特に好んだ入念なマッサージを施した。ちょうど17歳の頃、自ら従妹のヤショーダラー王女と結婚した。また習慣に従い、ハーレムを設けた。王子は肉体の快楽も贅沢も拒絶しなかった。13年間、気前よく与えられる快楽の極致を味わいつくした。乱痴気騒ぎを控えることもなかった。王子が仏法を求めるためにすべてを捨てることを決めたのも、まさにお祭り騒ぎの番の翌日であった。
その晩、楽士や踊り子や遊女たちを交え、王子は酒池肉林のあらゆる楽しみをいやというほど味わいつくし、挙句の果て半裸の女性たちの間で眠ってしまった。目覚めたとき、宮殿のほかの人々はまだ眠っていたのだが、彼らの眠っている姿が死体の山にしか見えず、ひどく動揺した。
先ほど言ったように彼は、王子として『すでに蔓延していたもの』である『もてなし』を思う存分堪能し、快楽の極致を味わった。しかしその延長線上で、自分がやっていることに虚無を覚え、
このままではいけない
と考えた。このことを考えると、彼が子供に羅睺羅(らごら、ラーフラ)とつけ、妻と子を置いて旅に出たのは、『自分はこれ以上私利私欲を満たしてはいけない』と思ったか、『違う女性と関係を持った淫らな自分は、夫や父の資格はない』と思った可能性もある。
とにかく言えるのは、そこにすでに蔓延しているものや常識に逆らい、自分だけの道を探すことは難しいということ。しかもカースト制度のような身分差別が世を支配していた中、王子という贅沢な身分を捨ててしまうのだから、相当な覚悟が必要だっただろう。釈迦がのちに『仏教(ブッダの教え)』なる、バラモン教とは違う新しい光を見出し、それを広めたことを考えても、彼は一度すべてをリセットし、新たに『在るべき世』を求め、その答えを探す旅に出たと考えることもできる。
また、この例を受けて観たい映画がある。『ブラック・スワン』の監督ダーレン・アロノフスキー、『レ・ミゼラブル』のラッセル・クロウ、『ハリーポッター』のエマ・ワトソン、『ハンニバル』のアンソニー・ホプキンスらが出演する、『ノア 約束の舟』だ。この映画はアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)のルーツとなる預言者『ノア』が、なぜ箱舟を作ったのかを描いている。人間も動物も、男女一対ずつ船に乗せ、この地球をリセットするというわけだ。しかし、自分たち人間だけをどうしても『特別扱い』しなければ、船には乗れない。男女一対ずつにならないからだ。しかし家族はもう一人いる。では、自分たちを優先して、子供を連れていくか。ノアはそれは自分本位な考え方だと考えた。しかし、妻は言う。
ノアは子供にナイフを振りかざした。…続きは映画で観たい。
ちなみに、『超訳ブッダの言葉』にはこうある。
故郷、シャカ国の人々もブッダを慕って弟子入りするようになり始め、故郷においてきた息子ラーフラもまた、かれの弟子になりました。本書には取り上げませんでしたけれども、経典でブッダがラーフラに向かって丁寧に丁寧に修行の仕方や心の保ち方を教えてあげているくだりは、ほどよい距離を保ちつつ愛情にあふれた麗しいものです。
結局彼ら親子のことは、彼ら親子にしかわからないだろう。
キリスト教やイスラム教は絶対神に救いを求めるが、仏教では自らの努力によって報われる、という教えを説く。答えは外ではなく、自分の内にあるのだ。しかし、そうは書いたがキリスト教やイスラム教とて、『自分の内に目を向ける』という教えがその神髄にある。それは、自分の内に目を向けた人間にしか理解できない境地だ。
自分の内に目を向けた人間であれば、それらの宗教にも『そのことについて語られている』ということがわかるが、経験値がない人間からすれば、事実を短絡的にしか解釈できないだろう。私もそうだった。そして私は『内観』という修行をし、内に目を向け、自分の心に答えがあることを知った。
李元馥の著書、『世界の宗教―ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・ヒンズー教・仏教・儒教・その他 (教養マンガ)』にはこうある。
『仏教信者が歩む道は神に向かってではない。宇宙と同じくらい広い自己の世界に隠されている極楽を求める努力だ。』
私もこれを見るまで誤解していたが、仏教の言う『極楽、地獄』という概念は、世の多くの人が認知しているあの世のことではない。自分の心の中のことを指し示していたのだ。
例えば、ブッダが罪・悪としたものに、
『執着』
がある。執着さえなければ、この世の一切の『悩み、憂い、嘆き、不愉快』から解放される。我々人間が強いられているこの人生とは、決して辛く、悲しく、『虚しい』ものではないのだ。たった一度の『尊い』人生なのだ(天上天下唯我独尊)。
この天上天下唯我独尊を理解している人間の心は、解放されている。何しろ、自分の命こそはこの世で唯一無二なのだ。その事実を本当に理解した人間の心は躍動し、くよくよなどしている時間など一分もないことを悟る。
その様にして、一つ一つの真理を理解していくことにより、心が豊かになり、思い悩みから解放されるのである。これを『極楽』と表現しているのだ。そして無知である人の心を『地獄』と言っている。
[内に目を向けて真理を理解すれば心は平安になる]
[内に目を向けずに問題を未解決にしたままだと心は混沌とする]
たしかにこの考え方なら、無宗教者の私も合点がいく話である。私自身、内に目を向けるまでは人生に未解決問題が溢れていて、そのせいで気持ちが鬱屈とし、それを誤魔化すように刹那的な人生を生きてしまっていた。
毎日、その日が楽しければそれでいいと考える、場当たり的な生き方。深く考えないで済むメリットがあるが、思慮浅く、悔いの残る人生に繋がっている可能性が高い。
しかし、読書して考察し、内省や内観を積み重ねていくことによって、その未解決問題が徐々に解決していき、それと共に心のモヤモヤが晴れていき、平安な心を取り戻していったのである。
だが、この『極楽、地獄』はあの世のことだと解釈する人もいる。例えば、『面白いほどよくわかる仏教のすべて』にはこうある。
”極楽”は、至れり尽くせりの理想郷なのです。遠く地平線を眺めれば後約億ものきゅでんや楼閣が祖伊部達、一日中、心地よい仏の声がどこからともなく響き渡り、辺り一面にはいい香りが漂っています。(中略)したがって、浄土というのは仏の世界、仏国土の相称のことであり、極楽にはそれぞれの浄土の、○○極楽浄土というように固有名詞があることになります。(中略)
なかでも死後の世界として最も人気が高いのが阿弥陀如来の極楽浄土でしょう。(中略)阿弥陀如来は、人々に対して死後の世界での幸福を約束してくれる仏なのです。その意味では阿弥陀如来は地獄の閻魔と同じように、死後の世界をつかさどるということができます。ここには完全に『極楽=あの世』のことだという説明が書かれている。事実、極楽、地獄を描いた絵はこの世にたくさんある。
[極楽を描いた絵]
宮崎駿と共にスタジオジブリを支えた高畑勲の作品『かぐや姫』でも、月から来た極楽の使者たちが、かぐや姫を迎えに来るシーンが描かれている。『かぐや姫(竹取物語)』は、日本で最初に作られた物語文学である。従って、多くの人々がここでいう『極楽、地獄』のことを『あの世』のことだと認識しているだろう。ちなみに竹取物語は推定では1500年頃に出来た話だ。釈迦はそれよりも更に2,000年も前、紀元前500年頃を生きた人間であり、どこかで話が『逸れた』可能性は十二分にある。
極楽浄土と一般に重ねていうところから、浄土と極楽は同じ世界のような受け取られ方をしがちだが、私はそうは思わない。浄土は極楽ではない。地獄・極楽とは人が生きている日々の世界そのもののことだろう。(中略)我欲に迷い、人や自然を傷つけ、執着深きおのれであるがゆえに、死んだあとの地獄行きを恐れているのではない。救いがたい愚かな自己。欲望と執着を断つことのできぬ自分。その怪物のような妄執にさいなまれつつ生きるいま現在の日々。それを、地獄という。
五木寛之は『極楽』と『浄土』を別々のものだと捉えた。『地獄・極楽とは人が生きている日々の世界そのもの』。つまり、『浄土』になるとあの世になると言っているようにも見える。だが、道元の一生を描いた映画『禅 ZEN』で道元の母が、
『世間では、阿弥陀様にお願いをすれば死んで浄土に行けるという教えが流行っているようですが、本当にそうでしょうか。浄土とは今ここ。生きているこの世こそが浄土でなければならないのです。』
と言うシーンがあり、この道元とその母の考え方が、私が先ほどから前述している考え方と同じなのである。極楽であろうが浄土であろうが、それは全て『この世の理想』について想像された世界であり、決して『あの世の理想』ではないのだ。解釈というものは2,500年もの気が遠くなる時間をかけて変化している可能性があり、逆に、変化していないと思うのであれば、そこにあるのは人間への過信である。
私は、これが『あの世の話』なのであれば(わかるはずもないので)『仏教など大したことない』と思うが、李元馥や道元が言うように『この世の話』だということであれば、仏教とは極めて傾聴に値する、高潔な教えだと確信する。
フランスの小説家、プレヴォは言った。
また、ブッダは『身分制(カースト制度)』を完全否定した。『身分の高い人は清く、身分の低い人は汚い』ということはないと力説したのである。
[カースト制度]
それが根付いていた当時の『バラモン教』は現代でも『ヒンズー教』と名を変え、それが根付いていて、一部で理不尽は行われている。1948年にカースト制度は法的に廃止されたが、ヒンズー教徒にとってカースト制度とは『生きるための根っこ』のようなものだった為、未だにその考え方が根付いて離れないのである。
業(カルマ。やった行い。悪いことをすれば、悪いカルマ)は受け継がれるという発想の、輪廻(生まれ変わり)の発想による理不尽な身分差別があってはならない。このことについて一発で理解出来る話がこれだ。
『ロウソクについていた火が、消えた。だから新しく、つけた。だが、その火がどうしてさっきまでの火と同じものだと言えよう。』
我々はたった一度の人生を生きているのだ(天上天下唯我独尊であるべきなのだ)。
参考文献『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』
※諸行無常、諸法無我の真理を理解し、苦しみの因となっている煩悩、渇愛を滅することが出来れば、おのずと心の安らぎを得られ、悟りの境地に到達する。
参考文献『図解「哲学」は図で考えると面白い』
ブッダがもっとも信頼していた二大弟子のサーリプッタとモッガラーナが病で死んでしまい、ブッダはこう嘆いたという。
参考文献『超訳ブッダの言葉』
また、この『菩薩(ぼさつ)』だが、キリスト教で言えば聖者に相当する。菩薩とは悟りを開いた者であり、求道者。知恵のある人を言う(悟りを求めて修行をしている者、という意味でも解釈される)。釈迦一人ではこの世の全ての人々を救うことはできない。従って、菩薩のような弟子たちに手伝ってもらったのである。
日本に伝わった仏教は、釈迦の死後300年経ってからの『大乗仏教』であり、本来の『原始仏教』とは形が変わってしまっている。ブッダ自身は『個人の崇拝をするな』と言っていたのにもかかわらず、世界各地に仏像が出来てしまい、人々はそれに向かって願い事をするようになってしまった。
釈迦入滅後、300年ぐらいたってから仏伝図(菩提樹・法輪・仏足石など)が刻まれ、紀元1世紀の終わりごろ初めて仏像が作られる。
時間が経つにつれ、教えの本質が少しずつ様相を変えてしまうわけだ。そして様々な分派に別れることになる。だが、大乗仏教が出来た背景に、『ブッダは釈迦だけのことを指す』という当時の原始仏教に異論を唱えて、『ブッダ(悟りを開く者)が釈迦だけだというのは違う。すべての人間にその可能性はあるのだ』という考え方があったのは、私は間違っていないと思うし、それこそが本来の『ブッダの教え(仏教)』だと確信する。
つまり、ブッダ(釈迦)自身が『私だけがブッダだ』と言ったわけではないのに、世に広まっていた『仏教』は、『ブッダはお釈迦様ただ一人』という教えだった。それに逆らう形でいろいろな形に分派したという事実からは、私は『伝言ゲーム』の滑稽さに似たものを覚える。
従って、釈迦と同じように真理を伝えるために現れる仏たちがほかにいてもいいことになる。『大日如来、薬師如来、阿弥陀如来(如来とは、ブッダと同じ意味の言葉)』などのたくさんの仏たちがいてもおかしくはないということになる。そして新しい多仏観の中造られたのが、『般若心経』や、『法華経』等である。
参考文献『面白いほどよくわかる仏教のすべて』
『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
ブッダは、弟子たちが悟りを経験するには、自分の歩んだ道に従うことで十分だと考えていた。この道とはそもそもブッダが考案したものではない。それは、『遠い昔に人々が踏破した非常に古い道(相応部経典12,65)』であり、これまでのブッダがかつて教えたものであるのに、その後すっかり忘れ去られてしまっていた。神の様な超自然的な存在の介入を一切必要としない道である。
キリスト教では『宇宙の外に更に神がいる』と考え、仏教では『宇宙の外は虚無である』と考える。アニメ慣れした日本人は、手塚治虫の『ブッダ』を見た方がこんなページを見るよりも簡単に、ずっと早く理解できるだろう。とにかく彼ら(開祖)は、考えざるを得なかったのだ。
また、作家の五木寛之は、親鸞を宗祖とする浄土真宗の教えを最も理解する身だが、著書『大河の一滴』でブッダについてこう言っている。
『人間を直視するところから、ブッダへの道が始まった』
と。また、仏壇に位牌を供えるのは、仏教ではなく、実は老子と神仙を祖とする道教のやり方である。それから『禅宗』は、中国で生まれた仏教の宗派だが、殺生戒を守るために味噌や豆腐などを多用する精進料理を発達させ、それが日本に伝わって、現在の日本食のベースとなったと言われている。
参考文献『世界がわかる宗教社会学 入門』
孔子、ソクラテス、キリストと共に四聖と称されるこのブッダ(釈迦)の言葉に真剣に耳を傾けてみると、意外な感想を抱く結果となった。『内観』の体験者ならきっとわかると思うが、彼の言葉は、『内に目を向けて見たもの』そのものだったのである。もちろん私がブッダと同じ境地には立っているわけもないが、しかし『意味』が理解るのである。それは私が、『内観』を体験したからだ。『内観』とは、読んで字の如くだ。『内を観る』ことである。それ以上でも以下でもない。
私の場合は一週間だった。とても特殊な環境だった。だから、全ての人がこの環境を用意できるとは限らないだろう。現代において、このことに対し主体的になる為には多くのハードルを乗り越えることが求められる。だから私は、運が良かったということになる。あの環境を『運が悪い環境』と表現する人は大勢いるが、私はそう思わなかった。これこそが『内観』によって得られる境地の一つだと断言しよう。内観について『それを体験せずに』理解しようと思うなら、内観と『思い出のマーニー』を読むといいだろう。
ブッダの言葉と一通り向き合って内省したが、やはりその本質は『自分の心と向き合う』ことだった。これについては、それによって受けられる恩恵の甚大さを知る私が最も共感できる教えだった為、正直、私はブッダ(釈迦)が好きになったのが本音だ。宗教嫌いの私がこう思うことを、幼少を知る人間の誰が予測できただろうか。当の本人でさえ、『意外』だと言っているのだから。
仏像も念仏もあってもいいが、それらはあくまでも表層的な形式に過ぎない。真に目を向けるべき焦点ではないのだ。
自力による解脱ができない者は、ただ『南無阿弥陀仏』ととなえなさい、そうすれば私が迎えに行って必ず私のつくった極楽に『往生』(極楽に往き生まれる)させましょう、という誓願を立てている。参考文献『面白いほどよくわかる仏教のすべて』
法然が、『南無阿弥陀仏』の念仏なら、字が読めない農民にも唱えられる。どんな悪人でも念仏を唱えれば往生できると説いた。この念仏の起因自体は素晴らしい。だが同時に、そこに依存することの愚かさも露呈している。参考文献『世界がわかる宗教社会学 入門』
(追記:2017年10月20日。道元の一生を描いた映画『禅 ZEN』には、道元が北条時頼にこう言うシーンがある。
『ばんかんの経典を読み、呪文を唱え、仏の名を念じても、釈尊の教えを得ることはできません。只管打坐(しかんたざ)。ただひたすら座ります。あるがままの真実を観ることこそ悟りなのです。』
これこそがブッダがやった『ヴィパッサナー瞑想』である。『ヴィパッサナー』とは、『あるがままを観る』という意味だ。)
上記の記事を見るべきである。本質を見誤らないことが問われている。目を向けるべきなのはたった一つ。『自分の心』である。それこそがブッダの教え(仏教)の真髄であると、私は信じて疑わない。