仏教の開祖 釈迦(画像)
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前回書いた、
ということ。これについては、前回書いたとおりだ。だとしたら同じこと。まさかそのゴミを掃除しても、 何も善いことが起こらないと思っているわけではあるまい、ということだ。
掃除というのは、『始末』と表現することもできる。テレビや映画でも、人を殺すとき『あいつを始末しとけ』とか、『掃除しておいたか』などと言って表現する。『始末』というのは辞書で引いても『片づけること』、『処理すること』などと出てくる。つまり、ここでいう『掃除』とほぼ等しい概念で使われることになる。
では、『始末』をして本当に善いことが起こるのだろうか。起こらないことだってあるのではないだろうか。人間はついつい、そう考えてしまいがちだ。なぜなら人間は、圧倒的に『後始末型』が多いからである。ここで言っているのは『前始末』。つまり、『カウンターインテリジェンス』とも呼べる、知性である。
例えば、掃除をして部屋を清潔に保つと、人間の天敵の、あの害虫が出ないではないか。それを、『前始末』出来る。あの害虫が出てくることは多くの人間にとって『悪いこと』だ。そして出てこないことは『善いこと』。もちろん、生命の単位で言えば彼らの命も尊いが、別に人間と一緒の家に生活しなくてもいいだろう。その意味でも、『前始末』をすれば『善いこと』が起こるのである。
後はその考え方の応用だ。無意味だと思ったり、やる必要はないだとか言って怠けたり、あるいは自惚れたり、過信したり。そうやってつい『前始末』を怠るのであれば、何も起きない平凡な日々が幸せ(善いこと)だったと思う日を強制的に、思い知ることになるだろう。
関連リンク:
参照:法句経122
法句経122。