仏教の開祖 釈迦(画像)
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私が『悔いのない人生を』というキーワードを抱えるようになって、もうすぐ5年になる。なぜここへきてそのキーワードを抱えるようになったかというのは、あまりにも濃密すぎてここには書ききれない。一つだけ言えるのは、人間は往々にして、『後悔してしまう生き物』だということだ。
自分にも他人にも当てはまる。だからこそこの言葉に重きを置いた。こんなにも全ての人に当てはまる言葉も珍しいだろう。心が白い人、黒い人、どういう倫理感や思想を持っていたとしても、この言葉が当てはまらない人はいない。もっとも『意味を理解している人』は全員ではないが。
さて、ここでいう『人生』とはなんだろうか。それは、自分の人生だけではないのだ。『人生』というのは、自分以外の全ての人の人生がそれに該当する。人は、後悔する生き物だ。『前始末』が出来たら全ての事故、事件、不祥事は起きない。世界中で今この瞬間にもそれは起きている。それこそが、人間が『後始末』に追われる生き物であるという証拠である。つまり、『後悔する生き物』なのだ。
だが、自分がいつまでもそのことについてくよくよとしていると、『人生』を棒に振るう。『人生』とは、自分の子孫のそれにも、該当するのだ。負の連鎖を、周りの人に押し付けたり、最愛の子孫へと繋いではならない。
『自分の人生』を肥やしに出来ない?『自分の人生』は肥料豊富な土壌じゃなくて、パッと咲き誇る花がいい?『失敗』したのに?だとしたら『その負』は、連鎖されるだろう。『執着』こそが、人間が持つもっとも愚かな欲望である。
法句経67。