仏教の開祖 釈迦(画像)
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簡単に考えるのだ。砂漠で30日遭難して、自分の小便などとっくのとうに飲みほして、命を引き伸ばしていたその時、目の前にオアシスの池が見えたなら、どう思うだろうか。
去年、小笠原諸島を取材したときの話だ。丸一日かかった船旅の疲れも癒えぬ中、炎天下の真夏に一日中トレッキングをし、坂道や秘境までの道を延々と歩き、日に焼けた肌から体温を奪われ、足は棒のようになり、少しでも油断すると翌日と翌々日の取材にも影響を及ぼす懸念がある中、体力維持の為、生命存続のために身体中がドリンクと栄養、休養を求め叫ぶ中、ついに見つけた自動販売機。
冷たい飲み物で頭がキンと痛くなるなど、本当に身体が水分を欲していたらあり得ない。 一口目にして4分の3以上が簡単に無くなり、体中を水分が駆け巡る。それは、普段都会で飲むそれとは明らかにその 『質』、そして『体感』が違うものだった。体育会系の人生を送る人なら皆、よくわかることだろう。普段、『限界効用の逓減』の仕組みを理解できない部下もさすがに、あのときのスポーツドリンクの味は、忘れないはずだ。
こういう言葉がある。
自分の人生で悲劇のヒーロー、ヒロインを演じる前に、一度このことについて、よく考えた方が良い。パラドクス(逆説)を見るのだ。『損して得取れ』。『損』が『得(徳)』になることがあるように、『増やす』のではなく、『減らす』のだ。減らせば、『減らす前』に当たり前だった事実が、『当たり前ではなくなる』のだ。 これも、内省をすることで得られる、セルフコントロール能力である。
法句経366。