仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
こういう言葉がある。
byラポック
人間というのはもちろん愛すべき生き物だが、同時に実に愚かな生き物である。略奪、争い、差別、隠蔽、ひいては法律から蔓延している常識、社会制度に至るまで、人間が創りあげたありとあらゆる概念は、決して『正しい』と断言できないものばかり。
だから、『その常識、概念、認識』の中で、例えば、『女性は顔をさらしてはいけない』とか、『女性は太っている方が魅力的だからお尻にシリコンを入れる』とか、その逆で 『露出している女性がセクシー』だとか、『小顔で美脚じゃなければあり得ない』とか、『意見をズバズバ言うのが良い』とか、逆に、『寡黙な男が粋なんだ』とか、やれ『悪魔』だとか、『魔女』だとか、『ホトケ様』だとか、
何が正しくて、何が間違っているのかこんなにも混沌としているのに、『あの人になりたいなあ』 と思う心は、本当に合っているのだろうか。そのことについて、一度よく考えてみた方が良い。
ちなみにブッダ(釈迦)は、『個人を崇拝するな。答えは自分の心の中にある。』と言って、崇拝の的になることを拒否していた。それから数世紀後に、崇拝を抑えられない信者が仏像を作り、世界にありとあらゆる仏像や、多仏観、そして般若心経が生まれた。
私は仏教徒ではない。キリスト教徒でもない。何でもないし、むしろ信仰に対して懐疑的であり、悩まされた人間の一人だが、その葛藤は逆に自分の使命であると考え、信仰や、宗教や、神や仏を少しでも理解しようというきっかけで、こうしてそれらの教祖(トップ)の話を聞いていると、驚くべきことに、彼らの言葉は的を射ているではないか。
そう。間違っていたのは、私が疑っていたのは、『真理を説いた偉人』ではなく、『教えを歪曲させた凡人』だったのだ。
自分の人生を、もっと大切にし、真剣に考えたいものだ。どんなに未曾有の状況変化よりも、どんなに貴重な宝石よりも希少な、たった一度の人生なのだから。それこそが、『天上天下唯我独尊』の言葉の真の意味だ。
参照文献
法句経365。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』