仏教の開祖 釈迦(画像)
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自分を信じることはいい。とても素晴らしい。それがなければ、この答えのない混沌とした、先が真っ暗で不透明な道に光を照らし、人生を生きられない。だが、あまりその『自分』を、人に押し付けてはならない。少数の人はそれで納得するかもしれないが、大勢の人からは毛嫌いされる。『過信』してはならないのだ。
という言葉の意味の共通点は、『自分を信じる、肯定する』ということである。これらを持ち、あるいは磨き、大事にするのはとてもいいことだ。だが、度が過ぎて、『過信』に至ってしまうと、
になってしまう。好き『過ぎ』でも、嫌い『過ぎ』でも、ダメだ。自分本位になるな。自己中心的に生きて、他人が迷惑をする。そんな人生を生きても、最終的には誰も幸せにならない。
他人本位にもなるな。その『他人』が、罪深い人間だったらどうする。他人本位ということは、そういう人間の傷も舐めるということだ。あるいは、『過保護』が行きすぎ、歪曲した愛情をかけるということだ。そのどちらでもない。極めてニュートラルな原則、つまり、『真理』に基準を合わせるのだ。
自分が真理に沿っていて正しいと思ったなら、相手がいくら反対しようとも、意志を貫くべきだ。相手が真理に沿っていて正しいと思ったなら、周りにいくら彼の理解者がいなくとも、自分一人でも彼の味方になるべきだ。それが出来る人は『過信』がある人にはならない。極めて純粋純潔な、『自信』に満ち溢れている人に値するのだ。
経集930。