仏教の開祖 釈迦(画像)
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他人から攻撃されたとき、理不尽な環境に精神を踏みにじられたとき、困難な試練が立ちはだかったとき、自分の心に渦巻くのは、間違いなく、負のエネルギーだ。だが、もしこれが正のエネルギーが生まれるように転換することが出来れば、この世はなんと、生きがいのある人生になるだろう。
『他人から攻撃された』とき。
(これは自分の器を決める試練だ。この程度の怒りに感情を支配され、相手の影響を受けてしまうのは、自分がその程度の人間だということだ。彼が一体、どれだけの人間だというのか。歴史に残るような人間でもあるまいし。道を歩けば野良犬が吠えている。それとの違いは、さほどない。哀れな彼のために祈ろう。私が微動だにしないことで、彼の人生にいずれ光がさすのだ。)
『理不尽な環境に精神を踏みにじられた』とき、
(こういう状況を経験することは、自分にとって『プラス』だ。自分がこういう経験を知ることで、同じような思いをする人たちに、的確な助言が出来る。
『寒さに凍えた者ほど、太陽の暖かさを知る。人生の悩みをくぐった者ほど、命の尊さを知る。』
byホイットマン
まさにこれは、『教育実習』。自分はその実習を受けた身として、迷える人々に手を差し伸べる責任があるのだ。)
『困難な試練が立ちはだかった』とき、
(迷路。迷路ぐらい皆やったことあるだろう。これは、迷路だ。もし迷路で、今までと同じ道を進んでいて行き止まりにぶつかったとき、そこでリタイアする者がいるだろうか?もしいたとしたらそれは、『迷路』をやっている自覚がないだけだ。壁にぶつかったら今までの道を見直せばいい。あるいは、引き返して違う道を探せばいい。それだけのことだ。
人生とは、答えのない迷路だ。自分で、納得のいく答えを胸に秘めながら、永遠にゴールのない迷路を歩き続けるのだ。だが、同じ迷路でも『さまよう』人と、『ひた歩く』人に分かれる。
後者であれ。
どうせ歩き続ける宿命なのだ。自らの足で、ひた歩くべし。)
法句経5。