仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
『人を騙す』という行為は、往々にして故意に行われる。だから、(騙していない)という意識が植えつきやすいが、『軽んじる』ということは、往々にして無意識に行われる行為である。(軽んじていない)つもりでも、実際には軽んじていることが多い。例えば、風邪を引いている人がいる。間違いなく彼・彼女を重んじることは、看病をしたり気に掛けることである。しかし、軽んじる人は、
あっそう、風邪ひいてるんだ。だるいよね。
などと言うには言うが、それ以降は特に触れない。それよりも自分が楽しみにしている都合があるからだ。風邪を引いている人の為に、その都合がないがしろにされることは許さない。彼は確かに『騙した』わけではない。しかし、『軽んじた』のである。そう考えると、確かに『騙す』ことはしなくても、『軽んじる』ことは常々行われていることである。
だとしたら人としてまだまだ未熟だ。伸びしろがある。あらゆる生き物に対して慈悲の心を育てられるよう、日々鍛錬する必要がある。 それが地球のリーダーを名乗る者の務めだ。
参照文献
仏典
経集148,149。
関連する『黄金律』
『愛があれば全ては解決する。』
『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』