仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
この時代に生きる人間として、生まれたときから当たり前の様に動物の肉を食らってきた人間として、動物の肉を食べることが許されないことは、大きな問題である。だが、もし最初からそういう世界であれば、自然とそれを受け入れただろう。
レストランに行けば必ず肉や魚は出て来る。肉がダメなら当然、卵もダメに決まっている。卵は鳥の命だ。命を食らっているのだから。そうなると生活が一気に変わることになる。外食産業は終わりだ。それで生活を形成している人間は全て路頭に迷うことになる。アスリート達も一気に弱くなるだろう。
ブッダの言うとおりに従い、菜食主義になってもいいが、私は菜食主義にも疑問がある。草木だって生きているのだ。草木がなければ、オゾン層は作られない。それによって太陽の紫外線を緩和し、地球の生命は生きていくことが出来るのだ。だとしたら菜食主義にも疑問が残る。では、『壊れないだけ食べる』ということになるなら良いのか。草木も果物も昆虫も動物も、生態系が崩れない程度なら良いのか。
答えはこの記事では出ない。だが、今私が挙げた感想の、『路頭に迷う』や『弱くなる』という発想は、『執着』である。ブッダは執着を、罪と定義している。自分の命のエゴを満たすために全ての人がそれをやってしまうとどうなるか、そのことについて、目を逸らしてはならないということなのだ。
byサルトル
参照文献
仏典
増支部経典。