仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
全ての生きとし生けるものは、この世を生き貫くために、必死である。例えば『擬態』はどうだ。天敵から身を守るために、自分の身体をカメレオンのように変える。そうまでして生きたい。それは、人間も動物も昆虫も草木も、同じことなのである。しかし人間にとって問題は、『害虫』や『感染ウイルス』であるそれだって、『生きるのに必死』なはずだ。
ウイルスが感染して拡大していくのは、ウイルスの生存本能だ。寄生して、繁殖し、優位になり、生きようとする。害虫も同じ。しかし、それを許しては、人間が絶滅してしまうのである。そう考えると、ブッダの教えには従えない。私から言わせれば、動物愛護団体のなんたらとかいう人々も、違う『生きとし生けるもの』は食べているわけで、では、『菜食主義』であればいいのかということになると、『草木だって生きている』のに、おかしな話である。
もし『草木は軽んじてもいい』のであれば、どんどん森林を伐採すればいい。しかし、それを本当にやってしまうと、たちまち地球を守るオゾン層が減少し、太陽光を防ぎきれなくなった地球は、紫外線に焼かれて、生命は絶滅するだろう。
もし、『そう大げさにならないくらいの適度な量なら良い』のであれば、動物だって同じことだ。『絶滅しそうもない動物なら殺して食べたって良い』ということになる。しかし、その発想やあの発想は全て、『人間本位』である。人間を基準にして導き出された答えは、=正解ではないことを知らなければならない。
簡単に答えが出るなら、人間もこれだけ悩まない。とにかく、ブッダの言う様に、『全ての生きとし生ける物の命を、重んじよう』ということは、覚えておくことが正解だということはわかっているのだが。
参照文献
法句経129。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』