仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
真理を愛し続けて最終的には冤罪で処刑されたソクラテスは、
と言ったし、
とも言って、死から逃げることは『無知』であると考えた。しかしブッダは、
『私の言葉も、真理すらもまた、生きる智慧なのだから、あくまでも生き抜く智慧として真剣に耳を傾け、その後は、それに依存する必要はない。』
という様なことを言っている。四聖の教えを考察してみると、
ソクラテスは、
『全てにおいて重要なのは、何よりも真理である』
と言い、ブッダは、
『真理とは、生きる智慧である。従って、依存するものではない』
と言う。 また、キリストは真理の事を『神』と言い、
『神をあなたの主と仰ぎ、罪を悔い改めよ』
と言っていて、 孔子は、
『人間たるもの、天命を知るべし』
と言って、天に恥じないような利他の行動を仰いだ。それぞれで絶妙に『絶対的な存在(真理、神)』についての説き方が違うが、しかし一貫してやはり、『絶対的な存在(教え)がある』と言っているのだ。
詳しくは、ブッダと真理について書いた記述を見ればわかるが、真理というものは、 あらゆるわだかまりや不和、問題、トラブル、悩み事、苦しみから解き放ってくれる、 『指針』であり『道しるべ』であり、『答え』であるわけで、真理を愛して死ぬことになったソクラテスも、『真理に依存することなく生き抜け』と言うブッダも、キリストも孔子も、共通しているのは、『真理=味方である』と説いているところである。味方なのだから、それが重荷になりすぎて、『足枷』になったり『敵』になることがあってはならないという事なのだ。
短絡的に考えると、ソクラテスよりもブッダの方が、柔軟性がある様に捉えられるワンシーンである。もっとも、それは本当に短絡的だが。
参照文献
中部経典『蛇喩経』。
関連する『黄金律』
『人間は今、「最高到達地点」にいない。』
『流動変化が避けられないことを知っているかどうかは、人間の運命を大きく変える。』