仏教の開祖 釈迦(画像)
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人間は快楽を感じると、脳内に報酬系物質のドーパミン(オピオイド)が放出される。
美味しいご飯を食べた時、大好きな人と一緒にいるとき、迷路を抜けた時、仕事をやり遂げた時、試合に勝った時、ゲーム、ギャンブル、酒、麻薬、煙草、SEX、どんなときでもいいが、この『ドーパミン』は、まるで『麻薬』だと思った方が良い。『脳内麻薬』である。 それを体験すると、やがてその快感が忘れられなくなる。これによって人生を狂わせる人もたくさんいる。
例えば『オリンピックシンドローム』とは、オリンピックの為に人生を賭けて生きて来た選手が、オリンピックが終わった後、燃え尽き、何もかもやる気がなくなり、廃人になってしまうというケースを指す。あるいは『麻薬・アルコール中毒』、『煙草・ギャンブル中毒』、『恋愛中毒』、至る所にこういう『中毒』の人はいるはずである。彼らは人間関係が壊れることよりも、その『脳内麻薬』を体験出来ない方が『損』だと考える。どっぷり浸かった依存症である。
人間とは愚かなものだ。こうして『前始末』をしても、結局大きな失敗をして、顔を下に向け、後悔をし、『後始末』に追われる人生を強いられるのが相場だ。しかし、だからといって『前始末』をしない理由にはならない。従って、考えた方が良い。前述したことをやること自体はいいのだ(麻薬以外)。だが、それを『報酬系目的』でやるのであれば、自分は『依存症』に陥っていると思った方が良い。
依存症について調べてみるといい。依存症の人は、『俺は依存症ではない』と言う共通点がある。この話を聞いて自分もそう思ったのだったら、自分はすでに、依存症なのである。しかし、大きな失敗をする前に気づけて良かった。私ならそう思う。それこそが『前始末』なのである。
それをやめると苦しい。それから離れると苦しい。それはしがみついているからだ。執着しているからだ。苦しくなったときはそれを思い出すといい。別にそれが無くても生きていけるということを。そしてしがみついているのは『それ』そのものというよりも、『脳内麻薬』なのだということを。
だから、別に他のものでもいいのだ。そう考えると、しがみつくこともなくなるだろう。苦しくもなくなるだろう。
経集728。