仏教の開祖 釈迦(画像)
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ブッダとは『悟りを拓いた者』という意味だ。つまり釈迦(ゴータマ・シッダールタ)のことだけを指すのではない。
深い反省よりも、猛省。
深い猛省よりも、内省。
深い内省よりも、内観。
そしてその内観を極限までやりつくした人間なら、誰しもが『ブッダ(悟りし者)』となることが出来る。釈迦の死後300年後に、日本に伝わった大乗仏教が出来た背景に、『ブッダは釈迦だけのことを指す』という当時の原始仏教に異論を唱えて、『ブッダ(悟りを開く者)が釈迦だけだというのは違う。すべての人間にその可能性はあるのだ』 という考え方があったのは、私は間違っていないと思うし、それこそが本来の『ブッダの教え(仏教)』なのである。
『ブッダの余韻』が残っている原始仏教に、『ブッダは釈迦だけのことを指す』 という教えがあったことを考えると、釈迦が、どれだけ偉大な人物だったかがわかるが、 釈迦自体は、
『ブッダとは、私のことだけを指すのではない』
と言っていたのだ。深い内観をする為には、自分と向き合う時間を一週間以上確保しなければならない。 最低で一週間だ。しかし一週間では『普通の内観』である。それ以上の時間を確保すること、その間の食事、排せつ等についても環境を整えなければならない。
風呂に入るかどうかということは、痒くなってしまったらそのことばかりに気を取られて内観どころではなくなってしまう為、入ってもいいとは思うが、昔の時代ならそれが当たり前だった為、痒くても虫がいても今ほどは気にならない。その時点で今と昔、あるいは国や文化によって内観への抵抗感が違うが、どちらにせよ内観とは、目をつぶって自分の心とひたすら向き合うということである。
こればかりは『やってみろ』としか言いようがない。実際にやっても、3日程までは今とほとんど変わらない邪念ばかりが頭をよぎるだろう。それこそ先ほど書いた『痒い』だとか、『トイレ行きたい』だとか、『腹減った』だとか、そういう邪念ばかりが頭をよぎるだろう。
しかし4日目から様子が変わってくる。私の場合はそうだった。あるいは、論理的ではない友人はこうも言った。
これは、内観をやった人間にしか理解できないだろう。私はお化けも幽霊も、その類は一切信じない人間なので信用していいが、私は、同じ内観体験者として、彼が何を言いたいかを理解できた。
簡単に言うと、彼が人生を前に進めるために必要な、彼にとっての重要人物は『彼の父親』だったのだ。その父親が現れて、何か声をかけてくれない限り、一生前に進めない。彼はそう思っていた。その心底に眠った深層心理が、内観によって現実と交錯し、あたかも『死んだ父が出て来た』という現象としてしか、説明することが出来なかったのである。
彼は生活態度がとても悪い人間で、ルールを守ろうとしない、ひねくれた問題児だった。しかし、彼はそんなところで嘘をつくような人間ではなかった。『偽善者』という言葉にとても敏感で、ただ素直に生きていきたいと思う、どこにでもいる思春期の問題児と同じだけだった。
彼は、どうすればいいかを周囲の大人たちからたくさん教わっていた。しかし、意見が合うのは、同世代で同じ精神年齢の悪い友達だった。心の奥底では、人生を前に進めた方が良いことはわかっていた。しかし、その為に必要な『亡き父親からの助言と後押し』は、もう二度とない。その現実を受け入れられず、現実逃避の日々を繰り返していたのだ。
そして『内観』を志望した。内観は、志望制だった。つまり、彼は自主的に内観を希望したのだ。それは、表層上では強がる彼が、本当の部分では救いを求めている確固たる証拠だった。
私や彼は、内観をした。しかし、『ブッダ』と呼べるまでには、内観は出来ていない。どちらかというと、『亡き父親が出た』などという意見を言う彼よりは、その全てを論理的に説明できる私の方が、深い内観効果を得ることが出来ただろう。しかし、それでも『ブッダ』とは到底呼ぶに値しない。
あれから12年。私は宗教が大嫌いだったが、その波乱万丈な半生も手伝ってか、いつの間にか『四聖』に数えられる、孔子、ソクラテス、ブッダ、キリストと向き合う心構えが出来ていた。するとどうだろう。彼らが突き詰めた知性というものは、私が突き詰めた知性と同じ道の上にあったことがわかったのだ。キリストだけはその伝え方の根本が異なるが、細かいことを言わなければ、彼らに共通するのは『真理への信頼』である。
そして『真理』とは往々にして、『表層』には出ない。『内面』や『実質』にこそ、それがあるのだ。特に、よく聞いていたいわゆる『お釈迦様』は、『釈迦』のことであり、本名は『ゴータマ・シッダールタ』であったわけだが、そういうことも、向き合ってみて初めて知った事実だ。彼が『ブッダ』と言われるようになった理由を紐解くと、何と、私が10代の頃経験した『内観』が深く関係しているというではないか。
釈迦は29歳の頃に旅に出た。そして6年間もの間、それまで王子の身分で味わったことの真逆の生活を送り、自分に苦痛を与え続けた。だが、骨と皮だけになり、痩せ衰え、死の直前まで追い詰められた。そして気づいた。
(苦行によってこの欠落感が埋まるわけではないのか)
そして彼は、菩提樹の木の下で穏やかに座禅を始めた。ついに釈迦は、『内観(ヴィパッサナー瞑想)』に辿り着いたのである。すると釈迦は、みるみるうちに自分の欠落感が埋まっていくことを体感した。そして彼はその深い内観によって『ブッダ(悟りし者)』となったのである。
その時彼は、35歳。というと、29歳からの6年の苦行を計算すると、苦行が終わったのも35歳。そしてブッダになったのも35歳。だとすると、彼がやった内観は、『1年以内』ということがわかる。つい、何年も木の下で座禅を組まなければならない印象があるが、そうではないのだ。我々が体験した内観の、もう少し深いものを真剣にやればいい。
私は、人が一生経験しないような半生を送ってきた。そしてそれはこれからも同じようなことが起こるだろうし、起こっていい。その私から言わせてもらえれば、
『ブッダとは、人生を真正面から直視した人間』
を指す言葉である。
法句経183。