仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
自分の『我』一つ制御出来ずに縦横無尽に横暴を働く人間の器は、たかが知れている。というかそういう人はこのページにまで辿り着かないだろう。『うるせえんだよ』と言って脳のフィルターがシャットアウトしてしまうからだ。しかし、それこそが器の小さな証拠である。器を大きくしようという人間は、肯定的な意見を集めない。それだけでどうして器が大きくなるというのか。器を大きく削る作業とは、往々にして心を痛める、武者修行なのだ。武者修行(削る作業)を避けて器が大きくなるわけがない。
というか私が書いている記事は全て自分に言い聞かせるための内省なのだ。これは私に言っているのだ。このページが読めないというのなら、私は傲慢で器の小さな人間に成り下がっているだろう。
失敗してから見るのでは遅い。失敗する前に、傲慢に陥る前に、こうして『前始末』として戒めなければならない。それをやめたら、その時点でもうそれ以上は向上できないと思った方が良い。器の小さなまま人生を終わらせたければ、いつでも『後始末』型に回れ。
参照文献
仏典
法句経244。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』