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ブッダ『自分の心から目を逸らす一切の娯楽は、現実逃避だと思え。』(超訳)

仏教の開祖 釈迦画像

内省

自分の心を落ち着けるには、自分の心のコックピットに座る以外に道はない。怒りに身を任せ、不安な気持ちに支配されることは、文字通り『乗っ取られている』。コックピット(操縦席)を乗っ取られて奪われ、支配されている。そう考えたらわかりやすいはずだ。コックピットを断固として譲らない。これが『主体性』である。

 

彼らはまるで『暴君』、『策士』、あるいは『感染ウイルス』である。無理矢理席を奪ったり、つけ込んで知らぬ間に兄席を奪ったり、免疫力が下がったのを見計らって席を奪う。つまり、必要なのは『免疫力』。それはここでいう『主体性』。そしてそれは『意志』とも言う。自分のその『意志、主体性、免疫力』があれば自分の心に目を見張り、コックピットを奪わせ、悔いの残る行動に暴走させる様なことにはならない。

 

内部から目を逸らし、外部に目を向けてしまうのなら、自分は『自分との勝負に負けた』と思った方が良い。それが『娯楽』なら、それはまるで『麻薬』と一緒だ。麻薬をやるということは、その占領されたコックピットに、更にカギをかけてしばらくの間乗っ取られることを意味する。

 

カギをかけてドアの前に物を置いてしまえば、そもそもそこに操縦席があったことを忘れてしまう。従って、『乗っ取られた』ことについて憂うことなく、目を逸らして楽に生きていける。そういう発想と同じなのだ。

 

本当に強い人間は、毎日毎日自分と向き合い、コックピット(主導権)を監視して支配し、自分の人生を主体的に生きる人間である。ウイルスや病気も、初期症状の段階で見極め、治療したら回復率が大幅に違う。それと同じように、取り返しのつかなくなる前に、コックピットへ目を見張るのをやめてはならない。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

参照文献

仏典

法句経27。

関連する『黄金律

『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』
『アウトサイド・インではない。インサイド・アウトだ。』

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