仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
自分の欠点というものは、とかく、隠されがちだ。まず最初に思い浮かべるのは『見栄』だ。次に『自惚れ』。そして『説得者要因』だ。説得者要因とは、説得する人間にどれだけ説得力があるかどうかで、対象者が納得する度合いが変わってくることを指す。
まずは『見栄』だが、見栄があれば当然人は、包み隠す。(自分には欠点はない)ということをとにかく人にひけらかしたいのが、この見栄に支配されている人間だ。
次に『自惚れ』。(自分には欠点はない)と思い込んで過信してしまうのが、この自惚れに該当する。キリスト教の7つの大罪には、
- 嫉妬
- 憤怒
- 怠惰
- 色欲
- 暴食
- 強欲
- 傲慢
があるが、そのうちのいくつもの罪に当てはまってしまうのがこの自惚れ、思い上がりである。
そして『説得者要因』。要するに、自分の説得力を上げたい為に、言うことを聞いてもらいたい為に、あえて欠点を隠すということも我々にはある。やはり、欠点がある人間よりも、欠点がない人間から言われる方が説得力があり、対象者も納得しやすいと思うからだ。それはある種、一理ある理論だ。
だが、必ずしも対象者が『欠点を見破れない』わけではない。そこで、もし説得者要因ばかりに気を取られ、人を説得する際に本当に大切な『誠実さ』が相手に伝わらないことがあれば、つまり『相手が欠点を見破ってしまう』ことがあれば、そこには『不誠実さ』が残る。それは違和感となり、対象者から不信感を買うことになってしまうだろう。
どちらにせよ、欠点を隠すのはあまりいいことではなさそうだ。元々、人に大差などない。人が人を叱りつけて物を教えるということ自体が、越権行為に等しいのだ。人は一人一人が、唯一無二なのだから。
『欠点がある中、この人もこうやって頑張っている』
ということが伝わればそれで十分なのである。同じ方向に向かって歩く盟友の間で行われる教育・指導は、そういう誠実さと謙虚さ、相手への思いやりが何よりも重要なのだ。
参照文献
法句経252。
関連する『黄金律』
『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』
『アウトサイド・インではない。インサイド・アウトだ。』