仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
未練がましい人間を見ていると一言、『醜い』。面白いことに、大人になればなるほど、それがあることは醜い。子供が遊びやお菓子に未練たらたらで、駄々をこねる姿はわかる。彼らの精神は未熟だからだ。大人ではなく、小人だから、致し方ない。
しかし大人はどうだろう。もう、それをしていたら『大人』と呼ぶには相応しくないのだ。つまるところ大人とは、未練を持たない竹を割ったような清々しさを兼ね備えた人間。それに該当しない人間は、『年齢だけ歳を取った小人』だと自負する必要がある。
私にはプライドがある。見栄ではなく、プライドだ。だから『年齢だけ歳を取った小人』と揶揄され、あるいは理解した段階で、それに甘んじることは許さない。つまり、『未練』とは無縁であるよう努力する。努力というのは、未練がましい人生とは正反対の終着点に続く、道を歩くという事である。
『人生を完成させる』為に、その道を歩くことは避けられないと、見たからだ。
参照文献
仏典
長部経典『大念処経』。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』