仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
打たれる、受け入れる、取り入れる。この共通点は、『外部からの要因を吸収する』ということである。つまり、自分の得につながるのだ。やらない理由はない。打たれて耐える意味とは、例え理不尽な要因でも、それをそのまま『最悪体験』ということにしてしまえば、それがそっくり糧になる。例えば、(あの時の理不尽な体験に比べれば)となって、土壇場の強さに繋がってくる。
受け入れるということで言えば、簡単な意見なら受け入れやすいのは誰もがわかる。 だが、たまに耳が痛くなるような意見をズバズバ言われることがあるだろう。しかしそれは、『自分の弱点という的のど真ん中を射って来た』わけであり、それは本来、尊敬に値するのである。
(よく見抜いてそこに矢を射ってくれた)
そう思うのが、こちらの筋である。取り入れるというのは、まさに『学ぶ』こと。自分から主体的に学びに行く姿勢。これがあれば、人間はどこまでも際限なく成長できる。
ソクラテスは言う。
積極的に外部要因を取り入れようという姿勢は、知性そのものなのである。
参照文献
仏典
経集266。