仏教の開祖 釈迦(画像)
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『支配される』という状態から考えると、『気づいたら3になっている』ということである。ということは、 『3の前に、1と2があった』ということを知れば、『気づいたら3になっている』ということはあり得ない。
まずの『0』で、(これは3に繋がっている)ということを知るからだ。その時点で、もう半分『支配している』状態に等しい。後は残りの半分を、実際に『3』にならないように駒を進めるだけだ。
例えば『C』が『支配して到達できる目的地』だとすれば、『0』から踏み出すのは、『1』ではない。『A』である。同じように考えて、『気づいたら快楽や怒りに自分を支配されている』 ということがあるのであれば、それはそれらの『類推(前述したような推測)』が出来ていないだけだ。
孔子も、
と言って、怠惰に甘える人間を良しとしなかった。
長部経典『大念処経』。