仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
答えはこうだ。
『執着は罪』。
それをまず絶対原則として理解することが重要である。
しかし『執着を捨てる』というと、なにかこう『手放す』ような、『損をする』ような、そういう感覚に襲われる人がいるのではないだろうか。とくにこの『結果に対する欲を捨てる』ということなど、特にそうではないだろうか。
だってそうだろう。自分がせっかくやったのに、それがすべて無駄になる。それは耐えられない。せっかく一つ一つ積木を積み上げたのに、それを子供にドカっと崩されてしまう。怒鳴るに決まっているだろう。せっかくやる気を出して企画書を出したのに、それを上司にビリッと破られてしまう。愚痴を言うに決まっているだろう。
せっかく彼女たちを喜ばせるためにスイーツを買って来たのに、それをプイッと受け取ろうとしない。憤るに決まっているだろう。せっかく部下・子供・生徒の為に指導・助言をしたというのに、それをジャーっと水に流される。激昂するに決まっているだろう。
もういいだろうか。もうわかっただろうか。その苦しみの原因が、理解できただろうか。それが『執着』である。
その場合、例えばこうは考えられなかったのだろうか。
(子供には子供の価値が輝き、時間が流れているから当たり前だ。子供なりにコミュニケーションを取ろうとしたことを、こちらの価値観で頭ごなしに叱りつけてはいけない。 当時我々も人形と妄想して遊んだじゃないか。彼らには彼らの価値が輝き、時間が流れていて、それは我々と同じではないのだ。)
(自分のエゴを貫きすぎ、ニーズやその他のことを考えられていなかったのだ。人格を否定されたわけではなく、企画を否定されただけなのだ。あるいは、間違った企画を意気揚々と提出する、『傲慢な人格』を否定されたのだ。通るまで企画書を練り直そう。これを通して身につく能力は、仕事力だけではない。 傲慢で浅はかな人格の矯正だ。結果が出るまで諦めない粘り強さの強化だ。上司の立場と与えられた仕事を理解して最善を考える、キャリアアップへの布石と信頼残高の構築だ。)
(彼女らはこのスイーツを好きじゃなかったのだ。ダイエット中だったかもしれない。あるいは、受け取ったことによって何か代償を払わなければいけないプレッシャーを、私が知らぬ間に与えていたのかもしれない。だとしたら原因はこちらにある。そもそも、こっちが好きで勝手にやったことだ。それについて見返りを求めるのは、筋違いだ。これからは残されても別にいい、という気持ちでプレゼントしよう。)
(教育の神、森信三の言葉を思い出そう。
『教育とは流れる水の上に文字を書くような儚いものだ。だが、それを岩壁に刻み込むような真剣さで取り組まなくてはいけない。』
これがすべてだ。それが教育なのだ。)
参照文献
法句経77。
関連する『黄金律』
『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』
『アウトサイド・インではない。インサイド・アウトだ。』