仏教の開祖 釈迦(画像)
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内省
内面を見つめる努力をする人には、断固とした揺るぎなさがある。一方その逆で、自分の外面だけを良くしようとしたり、それに振り回されたりしている人は、虚ろである。『虚ろ』とは『虚しい』とも書く。1年後には違う立居振舞をしていて、違う思想について話している。
彼、彼女に照準を合わせようとしても無駄だ。今日悩んだことを、明日、もう忘れている。昨日好きだった人を、今日、嫌いになっている。彼らが平気で嘘をつくのは、別に根っからの詐欺師だからということではない。嘘をついている自覚が無いのだ。昨日と今日の自分の気持ちが違う。それに正直になっているだけなのだ。
ゆらゆらと気持ちが揺れ動く。女子中学生までだ。それが許されるのは。それを卒業したら、自分が本当に見るべき場所を見誤らないようにすることだ。私の様に、父を亡くしてから、自由を拘束されてから、初めて『内省』を始める、ということが無いように、助言をさせて頂く。もっとも、私はそれぐらいの環境が整わなければ、内省など一生する機会が無かったことも、事実なのだが。
そんな私の言う意見には説得力があるはずだ。内省は、それを知らない人が揶揄して見下すような、なまっちょろい効果を発揮しない。まるで、よく聞く『眠っている潜在能力』を引き出すような、そういう力強いエネルギーを、『内』からみなぎらせることが出来るのだ。
後はもうやってみるしかない。それ以外には何を言っても無駄だ。やればわかる。
参照文献
仏典
法句経207。