仏教の開祖 釈迦(画像)
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相手のことを本当に思っていればいるほど、当然、おべんちゃらや媚びへつらいをし、表層的にだけ仲がいいように振る舞うような真似に甘んじることはない。私の周りでは、そういう表層的な関係が随分長い間続いていた。表では愛想笑いをし、裏では陰口を言う。こんなものは本当の友人ではない。しかし、皆友人がいなかったから、それに甘んじて依存していたのである。
随分そういう人間関係を続けたある日のことだ。私はとある人物の誕生日に電話を入れたが、その内容はいつものように、彼の暴力性に恐れおののき、媚びへつらうようなものではなかった。むしろ、彼のそういった凶暴性や、高圧的で傲慢な態度を戒めるために、何年もの間近くで見てきて、思ってきたことを隠すことなく告げたのだ。
すると彼は居直った。例えば『もう嘘はつくな。人から信用されなくなる。』と言うと、『は?俺は嘘をついたことなんか一度もねえよ』と言って、言い返した。彼は誕生日のお祝い電話だと思っていただろうから、唐突なその出来事を、予期していなかったのだろう。
しかし、その言葉は何年も何年も積み重ねてようやく告げた助言だった。その助言を突き放すのなら、もう二度と二人の仲は元に戻れなくなるほど、覚悟のこめられたものだった。
ブッダは言う。
『もし相手が友であるに値しないような、聞く耳を持たぬ人間であるなら、君はその人から『うるさいなあ』と疎まれるだろう。けれどもその結果、そんな人からは嫌われて仲良くしなくてすむようになるのだから皮肉なことに、聞いてもらえないなりに良い結果になる。』
友の間違いは正すのが、友の使命である。それを理解できないのなら、そこに友人関係はないのだ。
経集120。