仏教の開祖 釈迦(画像)
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『孤独』な人は、100人中1人、真理から外れた行動を取った人である。これはわかりやすいはずだ。なんせ、『1人』というキーワードが出た。それは短絡的に子供が考えても、『だって1人の方が孤独って言うんでしょ』ということになるからである。では次の例ではどうだろうか。
『孤独』な人は、100人中99人、真理から外れた行動を取った人である。つまり、1人だけが真理に従って行動した。普通、子供の発想では『だって1人の方が孤独って言うんだから、これは違うよ』 となってしまう。しかし正解を選んだ彼は『孤独』になるだろうか。それとも、『孤高』になるだろうか。
では次に、エマーソンの言葉を見てみよう。
Pythagoras was misunderstood, and Socrates and Jesus, and Luther, and Copernicus, and Galileo, and Newton, and every pure and wise spirit that ever took flesh. To be great is to be misunderstood….
(誤解されるのはそんなに悪いことだろうか。ピタゴラスは誤解された。 ソクラテス、イエス、ルター、コペルニクス、ガリレオ、そして、ニュートンも誤解された。古今のあらゆる清純で賢明な魂も誤解を受けた。偉大であるということは誤解されるということだ。)
自分の私利私欲のことばかり考えている人間とは、いくら付き合っても時間の無駄である。彼らは『孤独』を恐れている。人と違う選択肢を選び、人と足並みが揃わないことに恐怖を抱いている。そういう人は意見がコロコロ変わる。的外れな批判をして、時にはこちらを異常者扱いしてくることもある。かと思えば、ちょっと風向きが変わってきたと思えば、コロッと意見を変えて寝返る。そうしないと自分の立場が危うくなるからだ。
人間は往々にして、そういう生き物だ。だからそれについて、憂う必要はない。だが、かくも虚ろなそれら人の心に、何かを求めるのは間違いだ。定めておくべきなのは唯一、『真理』のみである。
『真理』に重きを置いている人は、ゲーテが言ったこのような事実を知っている。
だから、自分の意見がより大勢の人々の賛同を得られなくても動じることはない。大勢の人から誤解され、その人たちと足並みが揃わずとも、彼らは自分が『孤立』していないことをよく理解している。つまるところ、『孤高な人』とは、自分の私利私欲に支配されない人だ。自分の私利私欲に支配される人は『孤独になりたくない』という思いに執着し、結果的に孤独な人間となる。
しかし孤高な人とは、自分の私利私欲に執着し、虚像に依存して安堵するような安易な真似をすると、自分の心が虚無に陥ることを知っている。なぜならそれは、真理に逆らう行動だからだ。
真理から逸れれば逸れるほど、虚無に近づく。
『この10円で、高級レストランで食事ができるよ!』と嘘をつき、周囲の人を強引に納得させ、興味を引きつけたのはいいが、自分の心底にはある種の虚しさが残ってしまう。その虚しさの正体こそが、孤独の原因なのだ。孤独な人間の側にはいつも、真理がないのである。
長部経典『六方礼経』。