美輪明宏

美輪明宏とは

日本歌手。シンガーソングライターや俳優として活動する美輪明宏は1935年5月15日、長崎県長崎市で生まれました。名字の美輪は芸名で、本名は丸山明宏。10歳の頃、長崎市の自宅で太平洋戦争末期の長崎への原爆投下を経験。爆心地から4km離れた場所だったため直接的な被爆は免れましたが、長きにわたり原爆症に悩まされることになります。また原爆により金融業を営む父の貸付先企業が相次いで倒産したため、一家は苦しい貧乏生活を強いられました。

 

終戦後はボーイソプラノに傾倒し、声楽とピアノのレッスンを受けたのち15歳で上京。国立音楽高等学校に進学した美輪明宏は、銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』と専属契約を交わしてシャンソン歌手としてデビューします。無国籍で年齢、性別不詳な風貌から、次第に頭角を現し始め、三島由紀夫や野坂昭如、大江健三郎といったそうそうたる著名人のファンを獲得していきました。

 

時代の寵児として一大ブームを巻き起こした美輪明宏でしたが、同性愛者であることのカミングアウトや歌の内容の生々しさから次第に反発が大きくなり、人気は急落。その後しばらく不遇の時代を過ごします。

 

1964年、「ヨイトマケの唄」が注目されたことで再び人気に火が付き、本名の丸山明宏から1971年に美輪明宏に改名。俳優としても三島由紀夫脚本の『黒蜥蜴』への主演を皮切りにタレント業としてテレビにも進出、2005年には『オーラの泉』で愛の伝道師として出演するなど、その活動の輪は広がりを続けています。

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