キリスト教の礎 イエス・キリスト
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内省
心が子供で、『大人』と言えるだろうか。ここでいう『子供』を、大人の対義語である『小人』としたなら、小人とは、”身体や立場だけ年相応”で、”精神や地位が不相応”だという人間である。
『大人になる』とは、『大人に”成る”』という意味だ。『成人』とは、大人に”成った”人のことだ。将棋の世界で、駒を相手の陣地に進めると、『歩』が、『金』に”成る”だろう。”成る”とは、『昇華する』という意味。つまり、『次の位に上がる』、『栄転する』、『格上になる』ということ。『成人』とは、法的に大人として扱われるというだけの意味ではない。
私は大人に成った。
そう言い切れる人は、どれぐらいいるだろうか。
嘘、偽り、虚偽、捏造、隠蔽、不正、裏切り、嫉妬、これらの悪しき心に支配されることはないだろうか。大人とは当然、それらの心を支配することのできる人間を指す。一度きりの人生。『大人』を目指そう。それが一番難しい生き方だ。それを選ぶのが、人間のプライドだ。
参照文献
聖書
コリント人への第一の手紙 第14章。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』