キリスト教の礎 イエス・キリスト
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内省
思慮深くあれ。思慮浅く生きる人間は、言い訳がましく未熟である。重い脳の病気を患う者以外は、別に人は、先天的に『思慮深い人』と『思慮浅い人』に分別されるのではない。自分で選んでいるのだ。つまり、人は思慮深くも、思慮浅くもなれる。よく、『人間の脳は5%も使い切れずに死んでしまう』などと言うだろう。それにとてもよく似ている。
思慮浅く生きる人は、人の言うことをよく聞きもしないで返事をする。表層的な要因やステータスに振り回され、物事の深部や、人の心の奥底を見ない。つまり、『見識』がないのである。だが、私はそういう思慮浅い人の気持ちがよくわかる。彼らは、『思慮浅くなる原因』を抱えているのだ。
例えば、『心の中に封印している闇を抱えている者』、『解決が困難な問題を抱えている者』、これらの事情を抱えている者は、『思慮を掘り下げたくない』と思っている。だから、結果として思慮浅くなる。思慮深く物事を考え、その問題を直視し、憂うことに耐えられないのだ。だから思慮浅くなる。
だが、人はいつかそれらの問題と向き合い、解決し、前に進まなければならないときを迎える。そういう意味でも、『思慮浅い人とは、未熟』なのだ。人それぞれ、環境の差異があり、与えられた試練の形も違うだろう。だが、自分の人生と向き合い、思慮深くあれ。いうなれば、そこから始まるのだ。真の人生が。
参照文献
聖書
格言の書 第18章。
関連する『黄金律』
『自分の心と向き合った人間だけがたどり着ける境地がある。』
『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』