キリスト教の礎 イエス・キリスト
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偽りと嘘、富と貧しさ、これらによって人は、自分の心を支配され、我を見失ってしまう。私自身、何度となくこれに支配されて『人間を辞めた』人を見てきた。もちろん、私自身もだ。これらに支配されている間の人間の顔は、もはや人間ではない。遠い昔、『悪魔』や『鬼』、『呪い』や『祟り』という概念が生まれたのもうなづける、人格が変わったようにおどろおどろしい態度を取ってみせるのだ。
偽り、欺き、誤魔化そうとしている人間の、なんと無様なことか。本人は『自己防衛本能だから』といって正当化するが、その言葉を人生のどこかで聞いたことがあるだけで、本来の『自己防衛』の意味をはき違えている。
他人を欺き、自分を偽ることで自己防衛は出来ない。出来るのは、”その場しのぎの誤魔化し”だけだ。 ”その場しのぎの誤魔化し”はまるで、『応急処置』。バンドエイドを貼っただけでは、癌は治らない。誠心誠意、素直に生き、自分の心と向き合って、癌の腫瘍を取り除く。これこそが本当の、『自己防衛』なのである。
貧しさは人を拝金的にさせ、富は驕りを増幅させる。これに支配されているときの人といったら、倫理的な問題や、人としての越権行為には、目もくれない。規範意識が歪み、人格が歪曲する。
そういう人間は、人生に悔いを残す。真理から外れた行為をすれば人は必ず、悔いを残すようになっているのだ。一見すると派手な死を選び、『悔いは残っていない』と思うような死に方を選択した人間でさえ、心底の部分ではしっかりと人生に悔いを残している。恨み、つらみ、妬み、嫉み、悲しみ、嘆き、悔しさ、劣等感、それらがあるからこそ、そういう死を選んだのだから。それでは、”失敗”だ。
生きてる限り、やり直しは何度でもきく。病床でもいい。塀の中でもいい。最後の最後に自分の人生に打ち克ち、悔いのない人生を生きるべし。それらによって自分を支配されるような、やわな生き方をしてはならない。
格言の書 第30章。