キリスト教の礎 イエス・キリスト
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人の上に立ち、人を支配し、権力やときには腕力をふるって、あるいは財力を使って部下の人生を牛耳る。特権の乱用、越権行為、とは、いずれも『権利を超えて、出過ぎた行為』という意味。つまり、人として『やりすぎ』という行為のこと。人間には優劣などない。あるのは環境の差異だけだ。
確かに、ビジネスやスポーツなど、舞台を限定すれば、表層的な優劣はつくだろう。だが、また違う舞台になればどうだろうか。『全ての舞台』において万能な人間などいない。そうふるまっている人がいるとしたら、それはただ『誤魔化すのがうまい』だけだ。
本当に偉い人は、みんなの召使いになれる。本当にみんなの上に立つような人とは、誰にでも快く仕える奴隷になることが出来る。それが出来ないというのなら、おそらくそれは、二流、三流の人生で満足しているということだ。『みんな』の規模が、小さいということだ。
世の中には、特権の乱用や越権行為を、見抜く人は大勢いるのだ。その人たちの上に立つことはできないだろう。その見識ある彼らの上に立てないで、どうして『偉い』と言えるのだろうか。よもや、小学生のガキ大将を、偉いと思っている人はいるまい。
偉そうな人に、偉い人はいないのである。
マルコによる福音書 第10章。