キリスト教の礎 イエス・キリスト
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順風満帆に人生を生きる人もいるだろう。だが、世の中を見渡せば、理不尽な出来事や不当な評価、劣悪な環境、考えられない事件、不祥事、枚挙に暇がないほどの混沌がある。幸運な人も、明日不運に直面する可能性を秘めている。不運な人も、明日幸運に直面する可能性を秘めている。幸運に恵まれて、理不尽を体験して、我々はそれに一喜一憂するだけなのだ。
だから、勝っているときに奢らず、負けているときに腐らず、人はその一生の間、自分のやるべきことをやり続けるべきなのだ。昨年、『PRESIDENT』の5.14号には、『もしドラ』でも有名な、ドラッカーの、興味深い事実が書いてあった。組織の経営や管理に関する新しい概念を生み出した功績から『経営学の父』と称され、20世紀のおける最も偉大な思想家の一人として数えられるドラッカー。だが、そんなドラッカーの人生にも、貧乏な時代があったというのだ。
27歳頃、定職はなく、女子大の非常勤講師やヨーロッパに対しての経済レポートを提出して細々と暮らしていた。それでも、彼は腐ることなく、将来の目標に向かって執筆活動を行った。次の言葉が重要である。
理不尽な世の中に屈する人間が成し遂げられるのは、せいぜい”一時的な膨張”くらいである。
成長と膨張は、違う。やるべきことをやり続けて積み上げ、確固たるものにしていく成長とは違い、膨張とは、膨らむ勢いだけは確かに一時的に成長のそれを凌ぐが、虚しく弾けて、跡形が残らない。『踏むべき手順』を踏まずして膨らむのが”膨張”。なぜ踏まずに膨らもうとしたかというと、彼らがこの理不尽な世の中に、屈したからである。
コヘレットの書 第9章。