キリスト教の礎 イエス・キリスト
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震災があって、津波で大勢の人が亡くなった。彼らの命の多くは、間違いなく、清廉潔白だった。被災者も遺族も、他の人には決して理解されることのない苦しみの中で、余生を生きていくことを強いられるのである。彼らの人生に中途半端に口を出してはならない。口を出すなら、相手と同じ心の状態にまで潜って内省し、共鳴することが絶対条件だ。
by三浦綾子
さて、以上の事を踏まえたうえで話をしなければならない。しかし、感情的になってはならないのだ。上の話は、感情的である。当たり前だという声が聞こえる。人間なんだから、人間には感情があるんだから。しかし、『真理』の話とは、感情的に話をするものではない。これも同じように、等しく、理解するべき事柄である。
『創世の書 第6章』にはこうある。
『これだけの悪をなすのならば、私の手で創った人間を、この地から消し去ろう。人間ばかりではなく、空の鳥も、獣も、地を這う生き物たちをも』
そして、地を雨と洪水が襲った。
これをどう捉えるかは、人それぞれだ。しかし私は、その『それぞれの人々』の中にも、ある共通して絶対に伝えられるものが、この文面のエッセンス(本質)にあることに着目をしたい。それは、『人間次第で、地球は死の国にもなるし、大勢の生物の多様性を保持しながら、命を繋げ続けることもできる。』というものである。
戦争、核爆弾、森林破壊、環境汚染。人間が出す化学物質によってオゾン層が破壊されたら、地球は太陽の直射を浴びて死ぬだろう。そのオゾン層を創り出す森林を破壊することがどういうことか、わかるだろうか。戦争や核爆弾はどうだ。日本人は、その苦しみを、悲しみを、誰よりも深く知っていなければならないのではないだろうか。
アインシュタインは言った。
人間本位に考えると、それは当然『感情的』になる。何しろそれは、『人間目線』だ。しかし、『真理』は人間だけのものではない。全ての森羅万象にとって、平等公正なのである。そのことについて、地球のリーダーである人間は、いつだって立ち止まって考え直す必要がある。
ヨハネによる福音書 第20章。