キリスト教の礎 イエス・キリスト
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魔性(ませい)と読む。よく聞くのは『魔性(ましょう)の女』の読み方だが、これ(ませい)は完全に私が創っている読み方だ。 魔性と聖性(せいせい)である。しかし『魔性(ましょう)』でもいい。 別にそんなことは関係ないからである。
さて、『人間は罪深い』。それはなぜかというと、この『魔性』が一生消えることがないからである。
吉行淳之介は言った。
太宰治は言った。
人間が『聖性のみ』になることは、生涯あり得ないことである。しかし、『魔性を封じ込める』ことは出来る。 我々人間に課せられているノルマとは、そのバランスを保つことなのである。法の不遡及(ほうのふそきゅう)とは、今は違法だが、以前は合法だった場合、過去を遡ってその行為を罰することを、禁ずる、 という法律の概念である。
考えてみればわかる。『廃刀令』が出たとして、刀を持っていると『銃刀法違反』で逮捕されると決まって、 刀を持つのをやめた。 しかし、『お前、以前刀を持っていたよな』と言って逮捕された。それはおかしい。『その時は合法だった』のだ。というよりもむしろ、『誇り』だった。 それを、後から出来た法律によって、遡って逮捕されるなど、理不尽極まりないのである。
同じような考え方が、人間にも必要だ。かつて悪い人間だったが、今は悔い改めた。 そうしてまっとうな道を歩こうとしている。その人間は、『魔性』を封じ込めるべく、『聖性』の勢力が増したのだ。自分の力か、あるいは周りの力か、とにかく『聖性』が、生きる力を取り戻した。彼らの『過去の罪』を、消し去ることは出来ない。しかし、『魔性』を憎み、『聖性』は称賛するべきだ。それが人間の生きる道である。
第二法の書 第18章。