キリスト教の礎 イエス・キリスト
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内省
『人間が考えたあらゆること』は、疑ってかかった方が良い。 何しろ、人間は恒久的に未熟なのだ。人間だってそれがわかっていて、日進月歩で試行錯誤しながら、研鑽していくことを前提に行動している。ここで言う『断食』もそうだ。『物を食べないことを決める』などと、それは人間が勝手に『やってみた』ことであり、そこに真理はない。
聖書にはこうある。
『神の命じる断食は、物を口にしない苦行のことではない。困窮している哀れな人たちの横で行う見せかけの苦行ではない。』
釈迦も、ブッダになる前の修行で、何日も断食をしたり、寝ないで瞑想したりと、ありとあらゆる苦行を体験し、不快感の刺激を与え続けたが、結局その『苦行』では、『この世の苦しみ』からの解放を得ることは出来なかった。本当の『断食』とは、『食べ物があっていつでも食べられるが、あえて食べない』ことを指すのではない。『物があったら、物が無い人に与え、肉親に与え、他人に与え、 結果的に自分の物が無くなる』ことを指すのだ。
『金持ちの小さな器だけを満たす余興』と『公明正大に満たそうとする豊かな心』。そこにある違いは決定的である。
参照文献
聖書
イザヤの書 第58章。
関連する『黄金律』
『足るを知る者は富む。足るを知らぬ者は貧しい。』
『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』