キリスト教の礎 イエス・キリスト
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格差や身分差別は、人間が勝手に創っただけだ。長い間、それが強烈で熾烈であるからと言って、それが決定的な事実だ。 だから気にする必要はない。愛は平等に人に降り注ぐ。そして罪も平等に人に降り注ぐ。今、右肩上がりのあの人が『右肩上がりに見える』のは、人為的なものでカバーしているだけだ。今、右肩下がりのあの人が『右肩下がりに見える』のは、人為的なものの損失を被っただけだ。それは『愛』とは関係ない。
例えば理不尽な殺人鬼が、爆弾を設置して、今日も多くの人の命を奪おうとしていたとする。そこに無邪気な子供が寄ってきて、裾を掴み、純粋な目で彼を見たとする。子供は彼を『殺人鬼』だとは思っていない。その刹那、彼の心は妙な『違和感』を覚えた。
彼は爆弾とは反対の方向へ走る。しかし子供は無邪気に、爆弾の方向へテクテクと歩き出す。後1分で爆発する。彼は足を止めない。それまで何人もの人を殺してきた。もう後戻りなど出来ない。
30秒。このままでいいのだろうか。もう、思考回路はとっくのとうにショートしている。 15秒。気がつけば彼の足は子供の方へと向かっていた。 5秒。爆弾はもう止められない。子供を抱いて、全速力で反対方向へ走る。
3、2、1
辺り一面に轟音が鳴り響き、その爆風で男と子供は吹っ飛ばされた。男は背中で爆風を受け、その衝撃で命を落とした。しかし、彼の腕の中でくるまっていた子供は、一命をとりとめた。
彼はそもそも、なぜ『殺人鬼』だったのだろうか。しかし彼は確かに、『殺人鬼』だったのだ。死んだ後もその事実は変わらない。彼のせいで多くの人が、命を落とした。しかしその子供は助かった。そこにあったのは、何だったのだろうか。彼が抱いた『違和感』の正体は、なんだったのだろうか。彼は、何を欲していたのだろうか。彼は、何を手に入れたのだろうか。
彼を生んだのは誰か。もしくは、何か。彼は死んだ?あるいは救われた?それなら彼を救ったのは誰か。あるいは、何だったのだろうか。それは、この混沌とした理不尽で儚く、無常な世界の暗闇に、確かに一片の光が差した、瞬間だった。
第二法の書 第7章。