キリスト教の礎 イエス・キリスト
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内省
私利私欲が支配できないなら、その他の生命を支配している、君主の様な態度を取ってはならない。真面目で誠実な人ほど、この問題について考え、きちんと悩めるはずである。
それに納得もいく話だ。筋が通っている。その他の生命よりも崇高だと思っているから、コペルニクスが『地動説』を唱えるまで、地球が宇宙の中心だと思っていて、森林を伐採したり、道路工事の為に他の生命を埋め立てたり、動物を檻に入れたり、実験材料に使ったり、害虫を駆除したりする。
だが、私利私欲が支配できないなら、それはルソー曰く、『生きているのではなく、呼吸しているだけ』だということだ。キリストやソクラテスを処刑させてしまったことも、『呼吸していただけの人間の仕業』なのであれば、つじつまが合う。
それなのに、『その他の生命以上の存在』だと思うのは間違いだ。『排除』されても『駆除』されても文句を言ってはならない。『いや、生命は尊いのだ』と主張するのであれば、まずは『呼吸するだけの人生』から脱しなければならない。それが、全ての人間に与えられた試練である。
参照文献
聖書
コリント人への第一の手紙 第3章。