キリスト教の礎 イエス・キリスト
Contents|目次
ヨナの書 第3章にはこうある。
『神は、人々が今まで行ってきた悪い行いをあらため、本当に悔いているのを見た。そして、彼らに罰として与えようと思っていた災いを下すのをやめた。』
4章も同じことが書いてある。『赦される罪と、許されない罪がある。』ということは書いたが、もし本当に悔い改めているのであれば、それは『赦される』。
この章でヨナが神に怒りの態度を示したのは、『許す』ことが出来なかったからだ。 『赦す』というのは、罪を帳消し、リセットするとか、免除するとか、やり直せるとか、そういう意味合い、つまり『愛』のような感覚である。 『許す』というのは、認める、承認する、良しとするなど、そういう意味合い、つまり『許可』のような感覚である。
悔い改めれば神からは『赦される』。だが、『許される』わけではない。 二度と同じような過ちを犯す人間が出ないために『許す』ことは出来ない。だが、悪気が無く、あるいは本当に悔い改めた人間は、『赦され』、人生をやり直す機会を与えられるべきだからだ。 嵌められて、生きるためにその行為を強いられた人間は、嵌められず、生きるために何も強要されなかった人間と、同じではない。人間は公正に扱われなければならないのだ。
ヨナの書 第4章。