キリスト教の礎 イエス・キリスト
Contents|目次
内省
しかし、寺や教会にはそれがある。あれはどういうことなのだろうか。もう一度言おう。ブッダもキリストも、偶像崇拝を良しとしていないのである。それがすべてだ。それと同じように、『神殿にいる神』など嘘である。
孔子は言う。
一体大勢の人は、何に向かって手を合わせ、頭を下げて願い事をしているのだろうか。
こうは考えられないだろうか。もし『神』や『仏』が自分の心の中にいたとすれば、偶像がない時代も、理不尽な扱いを受けている人々も、足が無い人も、目が見えない人も、全て平等に、公正に救われる、と。
まさか、自分たちだけが救われればそれでいいと思っているわけではないだろう。家に仏壇や十字架があれば人として立派だと思っているのであれば、大きな間違いである。もし『神』がいるならば、自分を置いて、無い人に寄付する人こそ、味方する。そう思わないだろうか。
参照文献
聖書
コリント人への第一の手紙 第3章。
関連する『黄金律』
『愛があれば全ては解決する。』
『自分の心と向き合った人間だけがたどり着ける境地がある。』