キリスト教の礎 イエス・キリスト
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例えば今公開されている『ノア 約束の船』では、ノアが夢で神の啓示を聞くところからすべてが始まる。ノアは、それを自分の規範意識で理解しながら読み解き、どうすればいいかという決断をし、やるべき使命に突き動かされる。周りの人間はノアの取る言動にときたま『異常』なものを覚えるが『異常だ』と思ってしまう周りの人間にこそ、落ち度があるのだ。そういう人間の自分勝手な私利私欲が、人間の愚かな歴史の発端なのだ。それを洗い流そうというのが、この話の根幹である。
私はある種精神的な病を負った社員を6年教育してきたから言えるが、 人間の中には、『○×クイズ』のような パネルに走り込んで突っ込み、○か×、どちらかがマットレスで、どちらかが泥という選択肢の中で、パネルが透明で泥が透けて見えているという場面であっても、泥を選択してしまうような者もいる。
理解できないだろう。それが普通だ。だが、私はそういう選択肢を取る人間を6年間この目で見てきた。そしてその行動に病的なものを感じ、調べてみると、確かにピタリと当てはまる症状の病名が、いくつか浮上したのだ。
彼は『直視』など出来ない。わかっていても出来ない人間はいるのだ。だから『直視』出来る人間は少ないと言った。だが、これらを踏まえた上であえて言えるのは、それでも私は、彼から目を逸らさないということだ。逸らす必要が無いと確信しているからである。彼の微々たる成長が、その確信をさらに裏打ちしている。私も彼も同じように『直視』することは大変だが、人生は最初から大変な世界なのだから、それでいいのである。
荒野の書 第12章。