キリスト教の礎 イエス・キリスト
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内省
デカルトは言う。
我々は人生に『反応的』に生きすぎると、『主体性』を失う。つまり、『反応』してしまうだけの人生に甘んじてはならない。時間に反応し、人の意見に反応し、テレビやネットの情報に反応し、電車で発生する重力に反応し、上司の指示に反応し、会社の意向に反応し、反応反応、また反応。そうして出来上がる人間は、人がやっている行動を取って安心し、人が並んでいる場所に並んで充足し、 土日と祝日に行楽日和であれば人生を満喫しようと高揚する。
では、その間に飢餓で亡くなっている途上国の子供の命は?人生を主体的に生きなければ、毎日の問題に反応するだけの人生になる。『我思う、故に我あり。』我々は、たった一度の人生を生きているのだ。
参照文献
聖書
ヨハネの黙示録 第3章。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』