キリスト教の礎 イエス・キリスト
Contents|目次
自分が思慮深く考えたつもりでも、実際にその『考えた頭と心』が間違っていたらどうしようもない。そう思わないだろうか。私の周りには、さぞ順風満帆に権力や財力を手に入れ、あたかも日々忙しく、正業をしている様に装っている人間が大勢いるが、実際は正業ではない。正業ではないのに、自分の人生が順風満帆にいっている様にふるまっている。
私なら、それに恥を知る。私なら、その金で最愛の家族や子孫を、養いたくない。事実、数年前に恥を知り、道を改めたのだ。それもそのはず、私は思慮浅かった。それに何より、その『私』が未熟だったのだ。つまり、『未熟な人間』が『浅い思慮』でもって人生を生きていて、仕事から人間関係から何もかもに携わっていた。それでいいわけがないだろう。
もし自分の人生が『思い通りにいかない』と思っているのであれば、そもそも『思い描く自分』がまず正しい魂を持っているかどうか、問いただすと良い。例えば、『拝金主義者』ではないか。『傲慢不遜』ではないか。『自分本位』ではないか。『歪曲した愛と倫理感』を抱いていないか。そうであれば『思い通りにいかない』に決まっているだろう。いったとしてもそれは一時的だ。すぐに膨張は、破裂する。
何しろ『歪曲している』のだ。捻じ曲がっている。必ずその曲がり道のたびに、衝突するだろう。支配者を装うことに酔いしれ、実際は自分の強欲に支配されていた、ということがないように注意した方が良い。
シラの書 第37章。