キリスト教の礎 イエス・キリスト
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人間は、 『善』なのか、それとも『悪』なのだろうか。もし『善』なら、なぜ人を殺したり、人の心を凌辱したりするのだろうか。もし『悪』なら、なぜ人を癒したり、人の心を温めることがあるのだろうか。『神』はいる?『悪魔』はいる?『奇跡』はある?『運命』はある?
犬は、この世界の色の、『青と黄色』しか識別できない。女性は、人間の男性よりも遥かに多種多様な色を識別し、サーモンピンクとホットピンクの色の違いを正確に認識している為、カラフルなものが、人間の男性より、よりカラフルに見えている。
では、この世界で見ている景色は、『相対的』なのだろうか。ある人間には『残虐な人でなし』に見えても、ある人間には『最愛の息子』に見えている。ある人間には『ただの水溜り』に見えていても、ある人間には『神の恵み』に見えている。
では、この世界で思う価値とは、『相対的』なのだろうか。白い色は、何色を塗りつけられても、すぐにその色に染まってしまう。黄色だろうが、赤だろうが、そして黒だろうが、簡単に。では、この人生で白く生きるためには、一切の『色』に触れてはならないのだろうか。そうすれば『黒』に染まらないで済む?全ては、『外部要因』が決める?この世は『相対的』に変わる?それとも、『絶対不変の事実』しかない?
自分は『白』だが、周りに『色』があり、中には『黒』もあり、それに触れると二度と元には戻れない?自分の好きな色に染めてくれるのが『神』で、自分を汚れた色に染めるのが『悪魔』?『人間』が神や悪魔の正体?それとも、『神や悪魔』が、存在する?
『ヴィレッジ』という映画がある。小さな謎のヴィレッジ(村)に住む人々の話だ。そこに住む人たちは信仰に敬虔であり、皆で庭に集まって仲良く食事をしたり、踊ったりする。老婆もいる。若者もいる。赤ん坊も生まれる。恋愛をし、結婚をし、村での生活は極めて平和で、不祥事や事件が少ない。
だが、そのヴィレッジにはある『秘密』がある。そこにいる子供たちは皆、そのヴィレッジから外へ出たことがないのだ。”だからこそ平和が保たれる”と確信する、そのヴィレッジを創った年寄りたち。彼らはかつて、最愛の家族を、最悪な形で失ったのだ。例えば、ゴミ箱から死体が出てきた。人間の見たくない部分(悪魔的要素)を、嫌というほど見てきた。
彼らの気持ちは痛いほどよくわかる。だが、そこに住む若者たちの人生は、本当にそれでいいのだろうか。ではだからといって、『あの街』に戻って生活するのか?『あの街』で、また理不尽な目に遭って、悪魔のような人間の所業をもう一度見ることになったら、きっと生きていけない。
知恵の書 第2章にはこうある。
『死と悪魔に属する者は、まさにみずから死と悪魔を体験することになる。』
それは、『特定の他人の心』のことを指しているのだろうか。それとも、『自分の心』のことを指しているのだろうか。『人間』に属してはいけない?それとも、『悪魔』に属してはいけない?自分の人生は、周りが決める?それとも、自分の人生は、自分が決める?あなたはどちらだと思うだろうか。またその意見は、『自分も同じ目に遭ったら』、変わるのだろうか。
知恵の書 第2章。