キリスト教の礎 イエス・キリスト
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『覇者』の定義の問題ではあるが、 例えば私はGoogleは、地球のある種の覇者になったと考えている。もちろんそれが永続的に続くかは知らないが、 まず『人間』というインフラが地球上に広がっていて、 その人間が地球上の生物で、最も『覇者ぶっている』わけだから、 その人間全体の概念にここまで広く食い込み、 『大検索時代』を創り上げ、その頂点に立ったことは、まぎれもなくある種の『覇者』である。
だがそれにはまずインターネットの基盤を造り上げたヴィント・サーフや、OSのプラットフォーム・イノベーションをやってのけた、アップルの『マックOS』、マイクロソフトの『ウィンドウズ』の躍進が無ければあり得なかったことである。AmazonもFacebookもそうだ。彼らは確かに『ある種の覇者』だが、本当の覇者ではない。キリスト教(おそらくユダヤ教やイスラム教も)の教えではもちろん、その『覇者』を『神』としているだろう。
私はニュートラルな立場でいたいのでそれを明言しないが、だからと言って世の中すべてを『科学』で解決できるかという質問に対しても、明言できない。ただ一つだけ言えるのは、人間は、宇宙の覇者ではないということだ。
『パッチワークキルト多宇宙』という宇宙の有力な論説がある。宇宙がパッチワークキルトのようになっていて、我々が目視できる範囲は限定的だが、その奥の、ずっと奥のさらに奥に行くと、 ポンッと、新たな宇宙のエリアに入る可能性があるという。
この図がパッチワークキルトだが、例えば我々のいる宇宙が一番左下の四角のエリアにあるとしよう。地球の大きさなどこの中の点ほどのサイズに過ぎないわけだが、ずっと(計り知れない距離を)右(上)に行くと、『隣の四角(エリア)』に移る。なんとそこには、『同じような構成で成り立っているもう一つの宇宙』があり、『もう一つの太陽』や、『もう一つの地球』、そして『もう一人の自分』がいる可能性があると言うのだ。いわゆる、『ドッペルゲンガー』である。
確かに、容易には想像出来ないかもしれない。だが、科学を突き詰めている超一流の人間がはじき出した論説だ。これを、同じように科学的に否定できる人間は地球には存在しないのだ。それなのに、 この世を知り尽くしたような素振りをする人間。 地球の覇者になったようにふるまう人間が後を絶たない。宇宙の存在に気付いたのも、地球が丸いと気づいたのも、人間の歴史ではつい最近の話だ。だが、その真実は最初から在った。
科学者や研究者は、その『空白』を埋めたい一心で、 その『空白』から計り知れないエネルギーを得て、 計り知れない叡智を、人間に遺してきた。だが、 彼らのその計り知れないエネルギーが、 元々在った真実(それが神の力なのかは知らないが)から得ていることを考えると、 人間は、やはり宇宙の覇者ではないのだ。
もっと大きなエネルギーがこの世に存在している。悔いのない人生を生きるためには、 そこから目を逸らしてはならない突き詰めて、研究し、全力で生きるのはいい。だが、『無知の知』をないがしろにし、覇者のようにふるまう人間に、 成り下がってはならない。
マルコによる福音書 第12章。