日本の作家。男。1909年6月19日に青森県で生まれた太宰治。「走れメロス」「人間失格」などの作品を書き上げた作家としても良く知られていますが、彼は後世に数々の名言を残した人物でもあります。(画像)
名言一覧
『幸福の便りというものは、待っている時には決して来ないものだ。』
『とにかくね、生きているのだからインチキをやっているのに違いないのさ。』
『大人とは、裏切られた青年の姿である。』
『人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う。この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか。』
『だまされる人よりも、だます人のほうが数十倍苦しいさ。地獄に落ちるのだからね。』
『人は、本当に愛していれば、かえって愛の言葉など白々しくて言いたくなくなるものだ。』
『何もしないさきから、僕は駄目だときめてしまうのは、それあ怠惰だ。』
『過ぎ去ったことは、忘れろ。さういっても、無理かもしれぬが、 しかし人間は、何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、それでも、堪えてそしらぬふりをして生きているのではないのか。』
『笑われて、笑われて、つよくなる。』
『人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。』
『安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは生のよろこびを書きつづる。』
『疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引き返すことは出来ないんだ。』
『恋愛とはなにか。私は言う。それは非常に恥ずかしいものである。』
『愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはいけない。』
『不良でない人間があるだろうか。』
『人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また、「絶望」という観念にも 同様にあざむかれる事がある。』
『人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。』
『私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当たるようです。』
『学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。』
『本当の気品というものは、真黒いどっしりした大きい岩に白菊一輪だ。』
『騙される人よりも、騙す人のほうが、数十倍苦しいさ。』
『信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。』
『弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我するんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。』
『自分は修身教科書的な正義とか何とかという道徳には、あまり関心が持てないのです。あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている人間が難解なのです。』
『自身のしらじらしさや虚無を堪えて、やさしい挨拶送るところに、あやまりない愛情が在る。』
『優という字は人偏に憂うると書く。』
名言だけを見たい人のために内省記事は別のページに分けました。
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太宰治の格言と向き合って内省する
太宰治とは(画像)
日本の作家。男。1909年6月19日に青森県で生まれた太宰治。「走れメロス」「人間失格」などの作品を書き上げた作家としても良く知られていますが、彼は後世に数々の名言を残した人物でもあります。「人間は不幸のどん底に突き落とされて転げまわりながらも、一筋の希望の糸を手探りで見つけることができる生き物だ」「生きていることは何ともやりきれない大事業なのか!」など、彼の名言には人間の生や死の本質的な部分を鋭く突いたものが多く見受けられます。
太宰治は、高校時代に当時活躍していた芥川龍之介の作品に大きな影響を受けたり、二十歳前後の時に流行したプロレタリア文学にも感銘を受けるなど、幅広い分野やジャンルの作品に触れながら自分の世界観の中に上手に取り込み続けた人物です。彼はのちに、流行作家としての地位を築くなど、彼らしい作風やスタンスでのびのびとした作品を出していて、現在でも日本を代表する作家のひとりとして知られています。彼の作品は現在でも不朽の作品が多く、老若男女を問わず多くの人から愛され続けています。
彼は1948年に玉川上水で愛人とともに自殺をして生涯を終えましたが、のちに出てきた彼の遺言からは「小説を書くのが嫌になったので死にます」とその動機がつづられていたそうです。ちなみに、彼の自殺直前に書かれた作品は短編小説で、「桜桃」というタイトルがついていましたが、彼の友人によって「桜桃忌」として発表されました。彼は当時、朝日新聞に小説を連載中でしたが、こちらは未完成のまま終了した遺作となっています。