※この記事作成から5か月後の3月1日、鳥山明さんが急性硬膜下血腫のため亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。
こんにちは。プロフ写真でガスマスクをつけてしまうほど、鳥山明と『ドラゴンボール』を愛する男です(麦わらはワンピだけど)。さて、今日は2023年10月14日(土)であり、『ドラゴンボール』が世界最大級のポップカルチャーの祭典「ニューヨーク・コミコン」で新シリーズ「ドラゴンボールDAIMA(ダイマ)」を発表した翌日です。
なぜ新作アニメが『ドラゴンボール超』の第2期ではなく、全く新しい展開っぽいのか。私は記事を2万ほど書いていますが、こういう考察記事などはほぼありません。しかし今回はどうしても書きたいという衝動があった。では、いくつかのポイントを押さえながら、
『勝手に』これを考察していきます。
Contents|目次
考察ポイントは『確固たる根拠』から挙げる以下の7つ。ドラゴンボールにちなんでここは無理矢理7つにしておきましょう。
後半がかなり濃厚な内容なので、最初の4つは簡潔にまとめます。実は『5』で後述するように、彼は二枚目とか、健全なキャラが苦手です。ですから、ラブロマンスも嫌いで、悟空とチチが結婚しなければならなくなった時も、あまりにもあっけない結婚の仕方をするし、ロマンティックな描写は一切ありませんでした。
ということで、彼がここで『小さくなった悟空たち』を展開するのは、彼の性格上自然なことです。それは、『Dr.スランプ』その他の彼の作品を見れば、伝わってきますよね!
※苦手と言っておきながらあのクオリティですからやばいですけどね・・
中国に視察旅行にまで行っている彼ですが、アドベンチャーものは受けが悪かった。漫画家として生きていくためにも、『天下一武道会』を展開させ、バトルに特化するために悟空もやむを得ず大人に成長させます。
それについては当時担当者たちはハラハラしていたようで、大人になった悟空に対して苦情が来ることを覚悟して電話の前で待っていたようですが、意外なことに一切苦情がなかったという裏話があります(後述する鳥嶋氏のインタビュー動画で見ることができます。)
そんな彼ですから、今回のコメントで『未知の不思議な世界で繰り広げられる大冒険と激しいアクション』と発表しているのは、どこか感慨深いところがあります。
2023年の8月に、集英社の敏腕編集者だった伊能昭夫(いよく・あきお)氏が、独立して「カプセルコーポレーション・トーキョー」という会社を作りました。この時から、『ドラゴンボール』の漫画の版権は集英社に残り、ゲームや映像関係の業務がカプセル社に移るのではと推測されていました。
版権
漫画 | 集英社 |
ゲームや映像関係 | カプセルコーポレーション・トーキョー |
そして、今回の『ドラゴンボールDaima』のエグゼクティブ・プロデューサーは、その伊能昭夫さん。こうした背景がもしかするとですが、
集英社のまま→ガチガチのしがらみ
カプセルコーポレーション→自由度が高い
という感じになって、『今までやむを得ず応えていた希望に応えなくてよくなった』というしがらみからの解放が、『ドラゴンボールDaima』、つまり『全員子供になってしまう』、あるいは『ドラゴンボール超』の続編的展開を無視したような、こちらからすると奇想天外な展開になっている可能性もあります。
ふー!やっと自分の好きなように展開できるぞ!
みたいな!(この辺はめっちゃ適当な直感・・)
これも直感ですが、野沢雅子さんを筆頭とした声優陣も、有限の人生を生きています。もしかしたらだいぶ前から声に限界(キャラクターとのギャップ)があったのかもしれない。今後も年を重ねる一方になり、不安要素もある。しかし、『全員が子供になる』という展開があれば、ちょっとふざけた声を出してもまかり通るので、年齢がハンデにならない。
また、『ギャグがやりやすい』という特徴もあります。ベジータらが子供になって怒っても威厳がないので、どこか締まらない感じになる。しかしそうしたゆるいギャグ風の世界観は『Dr.スランプ』を匂わす、『THE・鳥山ワールド』と言ってもいい。
彼のその他の漫画を全員集結させたとき、『ドラゴンボール』だけが浮いてしまう。後は、『ネコマジン』にしろ『サンドランド』にしろ『ジャコ』にしろ、ペンギン村の人々らを含めた全員が集結したとき、違和感なく溶け込む。そう考えると『ドラゴンボールDaima』で展開される小さくなった悟空たちとは、鳥山明が描きたかった本当の孫悟空たちと妄想することもできます。
『他のキャラも生きる』メリットがありますよね。映像を見ているだけでも、亀仙人や牛魔王など、今までに出ていたキャラクターが『調和』している印象があります。悟空とベジータの2トップがひた走る展開は『自然』ですが、実は私も見ていてちょっと棘が刺さっていた。ですから『スーパーヒーロー』でピッコロがオレンジになってくれた時、とても嬉しかったのを覚えています。
※悟飯に関しては能力を信じていたところがあるから、意外なことにそこまで驚きませんでした。
※と言いつつ、その2トップにはいつまでも最強を目指して突っ切ってほしいです。
他のキャラクターが置いてけぼりにならない。全員が子供になれば、何だかそういう印象を持ちます。そんなこともちょっと頭をよぎりました。さて、ここからは濃厚ですよ!
下記の画像は、鳥山明がキャラクターデザイン等を務める『ドラゴンクエスト』の『10』にて、公開されたものです。キーワードとして、
といった事実が浮き彫りになっているのがわかります。
ある時スタジオジブリの鈴木敏夫さんがこう言っていました。
命令や政令などが頻繁に変更されて、一定しないこと。朝出した命令が夕方にはもう改められるという意から。
また、2023年9月号『SWITCH』には、宮崎駿についてこうも語っています。
謎ですねえ。あれだけ映画を作ってきて『映画の作り方を忘れた』って言うんです。それもしょっちゅう言うんです。だから、本当に宮さんは幸せな人なんです。(中略)で、『君たちはどう生きるか』ってどういう映画だっけ。忘れた と平気で言う。なんて人だと思います。
日本が世界に誇るトップアニメーター、及び漫画家。『終わったことは忘れて常に次を見続ける』と宣言する鳥山明のことを考えると、彼ら二人の性格は違えど、どこかで共通しているところがある。そういう印象を受けます。
事実、彼らは浮世離れしていて、およそ『普通』とはかけ離れたところがありますが、両者とも『とてつもない社会的成功』を収めていますよね。この『普通じゃない』という要素こそが、彼らがトップクリエーターである証拠かもしれませんよ。
『鳥山明が『ドラゴンボール超』ではなく『Daima』を創る理由』を考えた時、やはり頭に浮かんでしまうのは、
GT、超、そしてDaimaってか・・なんかヒーローズとかもあるよな・・
という疑問でしょう。ドラゴンボールファンは、『色々ありすぎて分からない』という感想を抱いているのが本音です。しかし、彼は元々『日銭を稼ぐだけの為に漫画を投稿した』ところから漫画家人生が始まっているということを忘れてはいけません。ここで、端的に彼の人生の歴史をおさらいしてみましょう。
有名担当者鳥嶋氏のアドバイスもあって、則巻千兵衛から則巻アラレを主役に。
彼の中で『義務・責任』という窮屈感が沸点を迎え、最後に自分の描きたいような展開として『グレートサイヤマン』や『魔人ブウ』や『サタン』のようなキャラを出し、半ば強引に作品を終わらせる。
彼は元々、牧師や為政者を目指すような高潔な人格を持って生きていたわけではありません。『ハロー効果』で、彼が偉大な漫画家だから、性格も偉大だろうと類推してしまいがちですが、それは我々の誤謬なのです。
ある対象を評価するとき、その一部の特徴的な印象に引きずられて、全体の評価をしてしまう効果のこと。
よって、彼からすれば、『いや、僕はあんまりこだわりがないというか、適当なところがあるんです』という本音が常に心に渦巻いている可能性が高い。そんなに偉大じゃないんですよ、とか。そういう風に謙遜している様子が『ジャンプ流』なんかでも見ることができますからね。
また、『
というものがあります。ですから、あまり彼に求めすぎてはいけないんです。私もブウ編で終わった時、失望して一切の漫画を読む気にならなかったほど、『ドラゴンボール』に夢中でしたから気持ちは分かりますけどね。
『ドラゴンボール』には『GT、超、ヒーローズ、Daima』という点々とした展開が見受けられますが、彼からすれば、
ということで、
という関係者の考え方に対して、
として、やむを得ず付き合っている。つまり、彼はとても『気楽』を愛する自由人なんです。
・・とは思わないんです。
そうしたあらゆる『しがらみ(責任から発生する窮屈さ)』から解放されるためならいくらでもカードを切る。同じ自由を愛する人間として推察するに、恐らく彼はそうやって考えるところがあるのではないでしょうか。
ちなみに彼は『カメハウス』の挿絵を載せて、『家族で無人島に引っ越して暮らしたい』というコメントを書いています。それぐらい気楽な自由を愛する人なんです。
つまり、ハリウッド映画『ドラゴンボールエボリューション』も含めた、そうした派生作品をいくつも点在させてしまっているのは、彼ではなく、ファンやビジネスパートナーといった彼以外の人たちではないでしょうか。
理解に苦しむところもあるかもしれない。しかし、前述した宮崎駿然り、彼が王道から外れた発想をする人間だからこそ、彼がトップクリエーターとして確固たる地位を確立したのかもしれません。
また、先ほどのドラクエのところで見た『同じようなことを長く続けるのは苦手』というところを考えてみましょう。これは逆に言うとクリエーターとして常に、
あ!こんなのが描きたい!
と発想する、想像力豊かな生粋のクリエーター気質の性格であるということを示唆しています。
『Dr.スランプ』をやめるときも、
とコメントしていますが、前述した宮崎駿の朝令暮改かつ浮世離れした考え方然り、『同じ漫画を描き続けて生涯を終える』という考え方は、最初から一ミリも持っていない人だったはずです。宮崎駿なんて、
って言うって、前述しましたよね。描いたものはもう忘れて次に行くというところで妙に共通する二人が、たまたま世界に誇る日本のトップクリエーターというのは、いささか違和感ある偶然の一致ですよね。本当に偶然なのでしょうか。
鳥山明は『ドラゴンボール』終了後に、
といったいくつかの短編漫画を出していて、『こち亀』の秋本治、『ワンピース』の尾田栄一郎、『電影少女』の桂正和との共作なども入れると、結構頻繁に漫画を描き続けています。
尾田栄一郎のように『ワンピース』に人生を懸ける人もいていいし、鳥山明のように、アイディアが浮かんで描きたいと思ったものを描いていく人生も、あってはいいのではないでしょうか。この彼の『一つのものに執着しない』考え方が、『ドラゴンボール』関連の作品がいくつも点在している一つの理由かもしれません。
前述したように私は『
これらを拝見してじっくりと考察すると鳥山明の性格として、
という実態が見えてくるようになります。私も幼少期に窮屈な家庭環境にあったことから『自由』を何よりも優先して生きるようになったため、共感できるところがいくつもあります。ですから、もし彼のマイペースさに不満を覚える人がいても、私は同じ自由を愛する者として、彼の生き方を肯定したいですね。もちろん、『ドラゴンボール超』の延長線上をいつまでも見続けたいという願望もありますが、どういう結果になったとしても構いません。
それを創った人の人生を愛する。それが『本当のファン』ではないでしょうか。
この挿絵はデジタルで描き始めた初期のものなので変な絵ですが、例えばルフィはこう言っているわけです。
リンク先の記事は私がこのサイトで8000の名言を内省したときに一緒に行った、ワンピースの名言の感想文。これを読めば私がどれほど深く潜って物事を考察する人間かが分かりますが、難しいので読まないでも問題ありません。
鳥山明は、自由を求めた。しかし、お金がなかった。だから日銭を稼ぐために、得意だったイラストを駆使して漫画を描いて応募した。それは著作権を無視した適当なものだったので失格だったが、担当者と試行錯誤していきながら『Dr.スランプ』という大ヒット漫画を創り上げた。
『Dr.スランプ』ではせんべえではなくアラレちゃんを主役にするよう助言されると、人気を得た。
『ドラゴンボール』では『西遊記』のような冒険ものを描きたかったが、世間のニーズは『バトル』だった。
彼は『ペンギン村グランプリ』のようなバトルが人気があると知っていたが、それに従うのが嫌だった。
彼が好きなキャラはピッコロであり、あるいはサタンやブウといった『メイン以外のキャラ』だった。
本当は『ドラゴンボールが集まったところで終わる予定だった』から、設定の穴がいくつも出てしまった。
『ネコマジン』2作は自分が描きたくて描いたが、『ネコマジンZ』は頼まれて描いたので乗り気じゃなかった。
『ドラクエ』で自由にデザインを楽しむとボツになってしまいストレスを覚えてしまう。
彼は才能の塊のような人ですが、『自分が好きなもの』が世間に通らないことで悩んだような気がします。しかし、生きていくため、ビジネスのためなど、様々な『責任』を考えて、自分を殺して世間を取った。
しかしそのうち、徐々にメンタルがやられてしまうような感じがあった。例えば下記のインタビュー動画には先程から出ている『鳥嶋和彦』さんという担当者が当時について語っていますが、『8分』あたりのところで、『Dr.スランプをやめたくて、もうメンタルに限界がきている』という当時の鳥山明の様子を語る様子が聞くことができます。
アメリカの哲学者、エマーソンは言いました。
また、フロイトもこう言いましたが、
ここで引用した、世界的に有名な細胞生物学者のブルース・リプトン博士が書いた、『思考のすごい力』のこの項目が頭をよぎります。
潜在意識に蓄えられた、以前学んだ『真実』と矛盾する事柄を意識が信じると、脳内で葛藤が起こり、その結果、筋力の低下が起こる、という、紛れもない事実だった。
鳥山明は、『世界一の漫画家になって、少年たちに夢と希望を与えたい』と思って漫画を描いたのではなく、ただただ『自由気ままに生きたい』から漫画を描いた。しかし、その才能を買われて思ってもみない展開に発展。どんどん沼にはまっていくように、身動きが取れなくなっていった。
※沼にはまる、という言葉は、宮崎駿もよく使う言葉です
彼が『ドラゴンボールから解放された』と漏らすその様子は、エマーソンやフロイトの言うように、
これでようやく『本当の自分の人生』を歩んでいける・・
という安堵のため息に見えます。
冒頭に貼った、『ドラゴンボールDaima』のティザー映像。これには賛否両論の反応が出ています。日本のX(Twitter)にはタグから入れば、もちろんドラゴンボールが大好きな人たちがポジティブな反応をしていますが、世界規模に目を向けてみると、海外勢などは『オーマイガー!』と言って、言葉を失っている人たちもいるようです。
例えば以下の動画で『3:30』あたりから、子供になってしまった悟空達を見て、ショックを隠せないといった表情の人たちを見ることができます(英語わからんけど)。
世間のニーズ | バトル、バトル、バトル |
鳥山明の描きたい世界 | 『やるときにはやる』けど後はのんびり自由気まま |
皆はニーズから外れたものが展開されて、がっかりかもしれない。でも、鳥山明は最初から、子供の孫悟空を描きたかったのではないでしょうか。そしてバトルのニーズに応える為にやむを得ず大人にしたのではないでしょうか。
※ちなみに、上の魔人ブウ編の悟空とベジータのバトルの構図と、今回のDaimaのイメージ画像のバトルシーンは、全く同じ構図です。
ここまでまとめて、最後の考察ポイントが頭をよぎります。
鳥山明も、『ドラゴンボールDaima』が展開される2024年には69歳であり、50周年の2034年には79歳になります。※ちなみに彼と同い年には『明石家さんま、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ』といった錚々たるメンツがいます(関係ないけど)
それは、現在の宮崎駿とほぼ同じ年であり、宮崎駿は既に新作の構想をしているらしいことから、断言はできません。できませんが、
80歳+50周年
というのは、何か、節目な気がしますよね。
という流れがあるわけです。つまり、結構節目が意識されている。いつまでも夢にしがみつきたいのは誰しも抱くエゴですが、人生は有限。必ず終わるものです。
という要素と、ここまでに考えた様々な『しがらみ、責任、解放、自由』等のあらゆる要素を『勝手に』考えると、何となく、
よし!もうラストスパートだ!『ドラゴンボール』はなんだかんだで自分の人生の大黒柱だった!これを最後に確実に締めくくろう!だけど、もちろん自分の好きなように締めて、自分も、皆も、納得できる形で終わらせるぞ!
という結論に至ったのではないか、という流れが頭をよぎるのです。50周年、80歳で、クリエーター人生を完全に引退するような気配がある。そう考えると、『新展開』と銘打ったこの『ドラゴンボールDaima』に、どこかかつての『西遊記』のような面影があるのは哀愁を覚える。
世間のニーズに応える<自分の人生の完成
という、大きな人生のミッションに挑んだ稀代のクリエーター、鳥山明の生きざまを、ファンである私は最後まで見届けるつもりです。
完
※全部妄想
・・しかも、あのティザー映像だけで。今後すぐに大人になるかもしれないし、実は『超』の話かもしれないしね(´з`)実際に『超ヒーロー』は、正直最初
ああ・・グレートサイヤマン系の、やっぱり鳥山明はヒーロー系が好きなんだなぁ・・
と『本筋脱線系』かと期待していなかったのですが、蓋を開けたら最高に面白かったですからね!『想像を超えるバトルもちゃんと用意している』とコメントされているし、Wikipediaには『超』のとよたろうさんの名前もあります。
また、子供の姿を見て『可愛い』と反応している女性が大勢いることから、『女性が置いてけぼり問題』を解決した、時代に合った内容を意識したり、自信の子供や孫などのことも何か関係しているかもしれませぬ。ああ、結局何が来ても楽しみ!ぐぬぬ。
『熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはず』というプロダクションのコメントがありました。病死は急なことだったのでしょう。彼の死を受け、彼の作品を走馬灯のように思い出し、この記事と再び向き合いました。
私は間違ったことを書きませんでした。とても残念です。しかし、それよりも感謝の気持ちが大きいと言えます。鳥山明さん、素晴らしい作品を世に残してくれて、素晴らしい作品で我々の人生を彩ってくれて、ありがとうございました。ゆっくりお休みください。
2024年3月1日