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『この世には、命よりも大事なものがある。しかし、それは『上』にあるのではない。だから、『命よりも上』という表現は相応ではない。『中心』にあるのだ。』

意味

まず大原則として理解したいのが、『この世に命よりも大事なものはない』という事実だ。だからむやみに命を絶ったり、殺したりしてしまうことがあってはならないし、命が失われたら心から悲しむべきだ。それでいいのだ。

 

だが、『悲しむ』ということは『人間以外の生命』が行うだろうか。いや確かに、動物が自分の身内が亡くなったとき、その亡骸をつついたり、口でくわえたりして大事にしようとする行為は見られる。だが、人間のように泣きわめいたり、鬱になって塞ぎ込み、身動きが取れなくなることも、それを原因に自ら命を絶つということはない。それは、昆虫や微生物等に目を向けても同じことである。

 

それであれば、『この世に命よりも大事なものはない』と言ってしまうことは、少し発想が『人間寄り』であることは否めなくなってくる。人間本位の発想の何がいけないかというと、例えば、『天動説』という間違った発想を生み出した。地球の周りを太陽が回っていると考えてしまったのだ。『地球こそがこの世の中心である』という発想をしたのだ。

 

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こういう考え方をするということは危険である。そこにあるのは思い上がりと想像力の欠如だ。他の存在に対する配慮も無い。例えば、『神が地球にだけいる』とか、『神は人間の姿をしている』という発想が生まれるし、それによって大きな問題が引き起こされる。

 

ブルーノという修道僧は、このコペルニクスが提唱した地動説を熱烈に支持し、自分が正しいと信じる世界の考え方を広めようといたるところで講演をしたが、これは当時の法王の天動説的常識や、聖書の教えに著しくそむくものだと考えられたので、1600年2月17日、ローマのカムポ・ディ・フィオリという広場で、火あぶりにされてしまった。

 

これに続いてガリレオは、コペルニクスの説の正しさを確信して意見を主張したが、宗教裁判にかけられ、無知な裁判官の前にひざまずかなければならなかった。

 

またあるいは、『生贄』はどうだ。『神の怒りを鎮める為に差し出された無辜な命』はどうだ。人間の『単なる勘違い』によって奪われた無数の命は、全て、ぞんざいに扱われてしまったことになるのだ。そんなことが許されていいと思うか。

 

だが、ここで更に話が複雑になってくる。『この世に命よりも大事なものはない、というのは人間本位だ』という発想が、生贄に結びついたのだ。つまり生贄は、『人間の命<神』という図式を重んじたことによって発生した概念である。ということは、彼らは、

『この世に命よりも大事なものはない、というのは人間本位だと思ったから生贄に辿り着いたんだ。我々だって他の動物や昆虫の命を食らい、生きていくように、神は人間よりも上の存在なんだから、その存在に捧げものをして命を繋ごうとする我々人間の発想の、何が間違っているんだ。』

 

という考え方があるということになるわけだ。だとしたら、今回の言葉である、

『この世には、命よりも大事なものがある。』

 

という部分と繋がってくることになり、その発想が正当化されそうになる。

 

だが、私が捻出した言葉は、

『この世には、命よりも大事なものがある。しかし、それは『上』にあるのではない。だから、『命よりも上』という表現は相応ではない。『中心』にあるのだ。』

 

というものだ。『命よりも上という表現は相応ではない』と明言しているのだ。

 

つまりこの言葉は、生贄や自殺、自爆テロなどの行為を『間違った結論の出し方』だとして否定している。それは『命よりも上にあるものがある』という結論の出し方であり、命をぞんざいに扱っていることになるからだ。特に自爆テロなどは、自分だけでなく、大勢の無辜な命まで巻き添えにする。『命よりも上にあるものがある』という発想だとこういう結論が生み出されてしまうので、『命よりも上という表現は相応ではない』と明言しているのだ。

 

そうではなく、『中心にある』。つまりそれは、『核』のようなイメージだ。

 

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核があるから地球が存在し、地球が存在するから地球上のあらゆる生命が生きていられるように、この世には、命の源のような、断固とした存在がある。当然、太陽があり、水があり、酸素があり、地球がなければ人間がこの地球で生きていられないように、『人間の命こそがこの世で最上のものなのだ』という発想は、人間本位かつ不完全な浅薄な発想である。

 

人間本位の発想の何がいけないかというと、例えば、『原子力発電』だ。結局あれは、あっていいのか、悪いのか。もし、あってはならないものなのであれば、東芝ほどの世界規模の企業がそれに着手し、事故によって損害を出し、その後それを隠蔽し、不正会計をし、莫大な赤字を抱え、甚大な信頼の喪失に繋がり、経営陣が『最悪の経営者』として揶揄されたことは、つじつまが合う。人間が、その中心にあるものから逸れて、自分たちの命をそれよりも上だと過信したからこそ、彼らの威厳は著しく失われたのだ。

 

 

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