意味
まず考えるべきなのは『パレートの法則』である。これは別名『80対20』の法則といわれ、世の中にある大体のことが、80:20で説明できるという法則である。
- 20%の社員が80%の売り上げを上げている
- 20%の国民が納税の80%を納めている
- 20%の人間がこの世の80%のお金を持っている
- 20%の原因が故障の80%を占めている
などという風に分けて説明できるのである。もちろん、大体だ。75:25のときもあるだろう。だが、大体がこのぐらいの割合に分けられるというのは、興味深い話である。
リチャード・コッチの著書、『人生を変える80対20の法則』にはこうある。
80対20の法則は『パレートの法則』と呼ばれているが、パレートはいかなる論文においても『80対20』という言葉を使っていない。また、所得全体の80%が所得人口の20%に集中していると言ったわけでもない。
パレートの方程式から、そうした結論が導き出せるだけである。パレートが発見したもの、パレートを興奮させ、その後に続く研究者をも興奮させたのは、ある所得水準とその水準以上の所得がある人の数の間に一定の関係があり、どの国のどの時代をとっても、その関係が近似的に成立することだった。
パレートの法則を呼ばれる関係は、次の式で表せる(Nはxより高い所得を得ている人の数、Aとmは定数)
log N=log A+m log x
E・M・グレイは言った。
『やりたがらなかったこと=20%の人が取る行動=別にやろうと思えば誰だって出来るが、やろうと思わなければ出来ないし、やるためにはある種の固い意志が必要になる』
という図式が浮上してきて、しかし80%側の人々は、(いや、でも、もし、だって)等と言って、それを結局やらない。つまり、80%側にいる『凡人や庶民』たちは、20%側にいる『天才や偉人』たちの人生に華やかさを感じ、憧れを抱く割には、実際に彼らが歩んだ道を歩くことには億劫になり、居心地の悪さを感じ、そして居心地の良さを感じるのは、80%側の人生の道なのである。
例えばここに書いた様に、
偉人たちの共通点に、『強いられていた』という事実があるわけだ。病気、貧乏、コンプレックス、責任、目標、虐待、孤独、差別。それらの不遇の重荷こそが、彼らを偉大なる高みへと上らせる原動力となった。したがって、彼らと同じような人生を送るためには、彼らと同じように『強いられる』ことを良しとしなければならない。だが、そこをそうは思えないのが、80%側にいる人間の心境なのである。
こう考えるのだ。
強いられた?それは序章だ。プロローグだ。始まるのだ。ここから歴史に遺る、伝説の物語が。
その考え方だけが人間を高みに連れていってくれる。