『ヒト』を最適化しよう。

『後始末では遅い。前始末をせよ。』(2ページ目)

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カウンター・インテリジェンス

『インテリジェンス 武器なき戦争』にはこうある。

カウンター・インテリジェンス

 

カウンター・インテリジェンスというのは、たとえば外国のスパイやテロリストが日本国内に入ってくるのを水際で食い止める。あるいは侵入してしまった者を監視し、摘発するといった仕事です。

 

 

『後始末』という言葉があるからといって、それに依存して『それをやればいい』という発想に至ってしまうのは、人間が思慮を放棄したせいで生まれてしまった、呆れる失態である。『前始末』という言葉が『無い』からといって、『それをやらない』という発想に至るのであれば、人間は永久に後始末に追われる人生を強いられることになるだろう。

 

前始末の絶対的な重要性

だが、世の中には『前始末という言葉がないなら、作ってしまえ』という発想をする人間がいるのだ。ITTの社長兼最高経営責任者に就任し、アメリカ企業史上空前の記録、『14年半連続増益』という金字塔を打ち立てた、ハロルド・シドニー・ジェニーンの著書、『プロフェッショナル・マネージャー』の巻末で、ユニクロことファーストリテイリングの社長、柳井正はこう言っている。

ジェニーン氏は、

『経営者は自分の会社と市場の現実を知ることによってのみ、満足のいく経営をおこなうことを期待できる。』

 

と言う。全くその通りだ。彼は、こうも言う。

『ITTの基本ポリシーのひとつは、『びっくりさせるな!(ノーサプライズ)』ということだった。(中略)予期しなかった問題を発見し、それに対処するのが早ければ早程、解決するのはそれだけ容易になる。その全部を早期発見することはできないかもしれないが、手遅れになれらないうちにそうした状況の95%に対処できれば、残りの時間とエネルギーを、網の目を漏れた2、3の大きな問題の処理に向けることができよう。』

 

優れた経営者は、発想法が似ているのだろう。僕は同じことをイトーヨーカ堂の名誉会長の伊藤雅俊氏から『前始末』という言葉で学んだ。失敗の予兆を早期に察知して、対処する。経営の基本だ。早期に察知できれば失敗した事業の後始末よりも前始末の方が圧倒的に効率が良い。それに要する時間や経費は、恐らく10分の1程度に減るだろう。

 

とある企業の社長は、自分の会社の社員が仕事中に事故を起こして人を死なせてしまい、そのことを悔いても悔いても、その人の命はもう二度と帰ってこないという絶対的な現実に強制的に向き合わされ、この『前始末』の重要性を思い知らされた。その社長もそうだ。その事故を起こした社員もそうだ。命を落とした被害者もそうだ。その人の遺族もそうだ。この話で、一体誰が得をしているだろうか。

 

『一オンスの予防薬は一ポンドの服薬に値す』

新渡戸稲造の著書、『自分をもっと深く掘れ!』にはこうある。

私が最も効果的と思う『心の修養法』

 

日ごろの心がけで、大概のことにも心を激さないように修養を積むことはでき得るものであると、私は信ずる。

『怒りは敵と思え』

 

家康公も言っている。もし毎朝起きる前に、常に『今日は断じて怒気を起こすまい』と心掛けるなら、きざしかけた怒気も、これを抑えることができる。

 

このように毎日怒らないように心掛けると、おのずから怒気を未然に抑制することになり、たとえ怒気が起こっても、ただちにこれを抑えることができる。英国のことわざに、

『一オンスの予防薬は一ポンドの服薬に値す』

 

とある。平生から怒気抑制に心掛けていれば、比較的容易に効果をあげることができる。ギリシャの哲学者デモクリトスは、精神の最良の状態はそれを平坦に保つことなりと教えた。心を平らに維持するのは、平和持久の基である。

 

日ごろから予防する。これに優る防御の案はない。

 

『知る』ことによって二次災害を避ける

京都大学理学部を卒業した京大教授であり、日本におけるユング派心理学の第一人者であり、臨床心理学者、河合隼雄の著書、『こころの処方箋』にはこうある。

『知る』ことによって二次災害を避ける

 

災害というのはどうしても防ぎようのない場合がある。地震とか台風などというのは、今のところ防ぎようがない。しかし、それが起こると前もって『知っている』と、それにより被害はぐんと少なくなるだろう。

 

(中略)たとえ予知は難しかったとしても、火砕流というものがどんなものかを『知っていたら』、やはり死者はもっと少なかったのではなかろうか。あるいは、地震を予防したり予知したりできないにしても、地震の際の火の始末や避難の方法などについて、人々が『知っている』か否かによって、二次災害は相当に避けることができるであろう。

 

もし知っていたら。その言葉を『後で』言っても遅いことがある。

 

人は死んでしまえば二度と生き返らない

中国古典研究家、守屋淳の著書、『孫子』にはこうある。

国は亡んでしまえばそれでお終いであり、人は死んでしまえば二度と生き返らないのだ

 

『やり直しの利かない一発勝負になりかねないのが戦争。だからこそ重大事』というのが孫武の認識であった。なるほど、死人であっても蘇生できたり、潰れた国や企業であっても復興できるのであれば、それは重大事ではあっても致命傷ではない。ポイントは『致命傷になるか否か』『やり直しが利くか否か』にある。この前提、実は現代のビジネス戦略や処世術、自己啓発といったものとは若干相いれない面を持っている。なぜなら、現代におけるそれらのほとんどは、次のような前提を持っているからだ。

 

『人や組織は間違えるし、失敗も犯す。しかしそこから学習し、成長して、その結果ととして成果をあげることができる』

 

『孫子』の場合、戦争でそんな甘いことをほざいていたら叩き潰されてお終いだろ、という立場をとっていた。

 

戦争

 

戦わずして人の兵を屈す

また、本にはこうもある。

最高の戦い方は、自薦に敵の意図を見破ってこれを封じることである

次善の策は、敵の同盟関係を分断して孤立させることである

 

もちろん力関係の如何にかかわらず、『戦わずして人の兵を屈す』の実現が理想的ではあるが、彼我の力関係にあまり差がない状態で、一方がおめおめ屈してくれることはまずあり得ない。次善の策として、この二つの指摘からは、

『相手の戦うエネルギーが小さいうちに掴みとってしまいなさい』

 

という教え、さらには、

『相手が戦うエネルギーをこちらに向けてきても、それをうまくかわしてやりなさい』

 

という教えを汲み出すことができる。相手がいくら戦うエネルギーをこちらに向けてきても、それをうまくかわし続けていれば、やがてそのエネルギーは自分以外の第三者に向けられる可能性が出て来る。そうなると、自分以外の二者が泥沼の戦いに陥り、前に触れた、『自分が漁夫の利をさらう側にまわれる』というう美味しい状況が実現できるはず―孫武は、恐らくここまで考えて二つの指摘を述べた、と深読みすることも可能な部分だ。

 

勝利する態勢をととのえてから戦う者が勝利を収める

また、本にはこうもある。

あらかじめ勝利する態勢をととのえてから戦う者が勝利を収め、戦いを始めてから慌てて勝機をつかもうとする者は敗北に追いやられる

 

自分の生死や国の存否がかかる戦争では、周到な準備をするのが当たり前。それなのに、なぜ戦いを始めてから、勝機を掴もうと慌てるのか。そもそも戦いになるという認識が薄く、明らかに準備不足だったからなのだ。

 

取り返しのつかないことは、『ある』。この話から得られる教訓があるとしたら、『前始末の絶対的な重要性』だけである。

 

 

 

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