名言一覧
『僕は天才ではない。僕は、毎日自分がやるべきことを、やり続けているだけだ。』
『人の意見や評価は曖昧なものだから。』
『最大の武器?それは、何かにトライしていこうとしている自分がいるということです。』
『自分がやりたいスタイルって本当はああいう感じだったのに、いつのまにか殻に入ってしまったというか、なんか自分が小さく見えてね。』
『どの世界でもそうだと思いますけど、自分のできることをとことんやっていきたいという意識があるか、ないか、そういうことだと思うんですよ。』
『これまでと何も変わらずに、ただユニフォームが変わっているだけ。』
『経験があるということは、イメージができるということじゃないですか。』
『結果が良かったからといって、自分にとっていい内容だとは限らないし、結果が悪く出ても、すべてが良くないとも思わない。』
『あれを「エラーになれ!」と思うぐらいの自分に持っていきたい。』
『これまでも常にプレッシャーを自分にかけてきましたし、そういう状況はたくさんありました。』
『みなさん、いちいち年齢のことを言うんですよね。そればかり訊いて大丈夫なの、と僕が心配してしまうほどで。』
『人の価値というのは、貫けるかどうかでしょう?貫いているのは、すごいです。』
『勇気を与えるとか、感動を与えるとか、よく聞くフレーズですけど、無理なんです。それは、目的にしてはいけない。』
『流れは、自分で制御できるものではありません。ただし、偶然かと言えば、そうではないのかもしれません。』
『余力があったとしたら、問題です。』
『ストレスが、いちばんの原動力かな。』
『練習の為の練習をするんだ。』
『頭で(まずい)と思った時にも、打つことが結構ある。その数を減らしたい。』
『時間は、人間が勝手に決めたものですからね。そんな話をして、深みにはまりたくありません。』
『ランチのメニューを変えないのは…アインシュタインや古畑任三郎の服と同じ理屈だね。』
『今年で止まってもいい、でも今年はやりたい、という感覚でやってきた。』
『誰も、助けてはくれません。』
『難しいことに自分から立ち向かっていく姿勢があれば、野球はうまくなるし、人間として強くなっていきます。』
『出たいかどうか、でなく、出られる選手でありたい。』
『100%で行くと、そういうことになる。リスクが大きいので、しないことが多いけれど。』
『ずっとその中でやってきている。突然に、あらわれたわけではない。僕の許容範囲の中に入っている。』
『そもそも、自分のやっていることが不思議に思えているようでは、もう終わっているよね。』
『あれをツキだと考える人は、あんまり成績が出せない人でしょう。』
『野球が大好きってことが、それに当てはまるかもしれないですね。』
『達成していく過程が面白かった。』
『ポテンシャルだけでやってきた39歳と、いろいろなものを積み重ねて、さまざまなことを考えてそこまできた39歳とを一緒にしないでほしい。』
『ぼくに誇れるものがあるとすれば、難しい局面になった時には、必ず、自分で決めてきたこと。』
『チームにはリーダーが必要だというような安易な発想があるようですけど、今回のチームには、まったくそんなものは必要なかった。』
『普段と変わらない自分でいることが、僕の支えだからです。』
『すぐ、調子に乗るし、すぐ、自信も失ってしまう。その中間が欲しい。』
『その『やはり』は、僕には当てはまらない。』
『安打が欲しい、という気持ちですよね。これが邪魔をする。』
『僕は日米通算3000本安打を達成したけど、6000回以上の失敗があります。失敗から、たくさんのことを学んでほしい。』
『負けているチームには足を引っ張ろうとする人がいる。そこに負けない、という気持ちは持っています。』
『体は元気だった。ずっと。折れた心も、体で支えていた。』
『できるはずのことができないからこそ、歯がゆいし、悔しいんです。』
『自分だけは違う、という発想は危険なんです。慎重になることで、何かを防げることはあるでしょうし。』
『僕の「甘い」は他の人よりよっぽど厳しいと思いますから、それくらいはオッケーでしょう。脱、完ぺき主義ですね。』
『だって、まだミスをしていますから。それを減らせば、もっとヒットが打てるということでしょう。』
『ひとつだけ言えるとしたら、メシのタネに野球をやっている選手では、絶対にここまで来られないと思います。』
『選手として同情されるのは最大の屈辱なんです。』
『やれることはすべてやってきましたし、手を抜いたことは一度もありません。』
『確かな一歩の積み重ねでしか、遠くへは行けない。』
『毎日、もうこれ以上はできない…という状態でやってきたつもりなので、それを続けていくことしかできません。』
『気持ちのコントロールで重要なポイントがあるとしたら、ゆるめる瞬間ぐらいでしょうね。』
『少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事。』
『打てない時期にこそ、勇気を持ってなるべくバットから離れるべきです。勇気を持ってバットから離れないと、もっと怖くなるときがあります。』
『特別なことをするために特別なことをするのではない、特別なことをするために普段どおりの当たり前のことをする。』
『自分が全く予想しない球が来たときにどう対応するか。それが大事です。試合では打ちたい球は来ない。好きな球を待っていたのでは終わってしまいます。』
『結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。決してあきらめない姿勢が、何かを生み出すきっかけをつくる。』
『今自分がやっていることが好きであるかどうか。それさえあれば自分を磨こうとするし、常に前に進もうとする自分がいるはず。』
『人に勝つという価値観では野球をやっていない。』
『そんなに練習をやっているんだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。』
『他人の記録を塗り替えるのは7割、8割の力でも可能だが、自分の記録を塗り替えるには10以上の力が必要だ。』
『同じ練習をしていても、何を感じながらやっているかで、ぜんぜん結果は違ってくるわけです。』
『キャンプでいろいろと試すことは、ムダではありません。ムダなことを考えて、ムダなことをしないと、伸びません。』
『成績は出ているから今の自分でいいんだ、という評価を自分でしてしまっていたら、今の自分はない。』
『努力せずに何かできるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。』
『しっかりと準備もしていないのに、目標を語る資格はない。』
『実戦でないとできないことがあります。一瞬の判断は、練習では養われません。』
『壁というのは、できる人にしかやってこない。超えられる可能性がある人にしかやってこない。だから、壁がある時はチャンスだと思っている。』
『妥協は沢山してきた。自分に負けたこともいっぱいあります。ただ、野球に関してはそれがない。』
『夢を掴むことというのは一気には出来ません。小さなことを積み重ねることでいつの日か信じられないような力を出せるようになっていきます。』
『自分の思ったことをやりつづける事に後悔はありません。それでもし失敗しても後悔は絶対に無いはずですから。』
『考える労力を惜しむと、前に進むことを止めてしまうことになります。』
『やってみて「ダメだ」とわかったことと、はじめから「ダメだ」と言われたことは、違います。』
『びっくりするような好プレイが、勝ちに結びつくことは少ないです。確実にこなさないといけないプレイを確実にこなせるチームは強いと思います。』
『準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、そのために考え得るすべてのことをこなしていく。』
『何かを長期間成し遂げるためには、考えや行動を一貫させる必要がある。』
『汚いグラブでプレイしていたら、その練習は記憶には残りません。手入れをしたグラブで練習をしたことは、体に必ず残ります。』
『プレッシャーはかかる。どうしたってかかる。逃げられない。なら、いっそのことプレッシャーをかけようと。』
『逆風は嫌いではなく、ありがたい。どんなことも、逆風がなければ次のステップにいけないから。』
『自分の限界を見てから、バットを置きたい。』
『大切なのは、自分の持っているものを活かすこと。そう考えられるようになると、可能性が広がっていく。』
『自分のしたことに人が評価を下す、それは自由ですけれども、それによって、自分が惑わされたくないのです。』
『進化するときっていうのは、カタチはあんまり変わらない。だけど、見えないところが変わっている。それがほんとの進化じゃないですかね。』
『自分がわからないことに遭遇するときや、知らないことに出会ったときに、「お、自分はまだまだいける」と思います。』
『第三者の評価を意識した生き方はしたくない。自分が納得した生き方をしたい。』
『結果を出せないと、この世界では生きていけません。プロセスは、野球選手としてではなく、人間をつくるために必要です。』
『前向きに食事をし、前向きに買い物をした。何事も前向きに行動することが可能性を生む。』
『自分自身が何をしたいのかを、忘れてはいけません。』
名言だけを見たい人のために内省記事は別のページに分けました。
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イチローの格言と向き合って内省する
イチロー(鈴木一朗)とは(画像)
日本のプロ野球選手。男。通称『天才バッター』。イチローこと鈴木一朗は1973年10月22日に愛知県の西春日井郡豊山町で生まれました。名前は一朗ですが次男で、兄はグラフィックデザイナーとして活躍する鈴木一泰。イチローが使用している野球用品には兄・一泰がデザインを手がけたロゴが刻まれています。
少年時代のイチローは、豊山町スポーツ少年団に所属し、エースの4番でチームの要として活躍します。練習のために通い詰めたバッティングセンターにはイチロー専用の打席が現存しており、テレビや雑誌などで度々取材されています。通常の球速では物足りないと感じたため、ピッチングマシンのスプリングも専用のものが使われました。同時期には同じく愛知出身のプロ野球選手、稲葉篤紀もそのバッティングセンターに通っており、隣で物凄い球速のボールを打つイチローを見て驚愕していたそうです。
豊山中学校、愛工大名電高校を経て1992年にはドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団。当初は本名の鈴木一朗名義で登録していましたが、3年目となる1994年に現在のイチローに変更。日本人初となる、下の名前での選手名登録者となりました。同年には年間210安打を記録し、それを表彰するために最多安打賞が打撃タイトルとして設立されます。
2001年には日本を離れ、アメリカのメジャーリーグ球団シアトル・マリナーズに入団。以後、新人王、MVP、首位打者など数々のタイトルを獲得し、日本人がメジャーでも通用することを証明しました。