名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
人間が道しるべとしているものはなんだろうか。様々だ。私の親はクリスチャン。従って、彼らの指標は、
イエス・キリストである。
プロテスタントの牧師でもある徳善義和・ルーテル学院大学教授は、
『プロテスタントは、罪深い存在である人間は、自らの力では自分を救うことは出来ず、キリストによってのみ救われるとし、いわば他力を強調する。カトリックは、キリストの助けを得ながら自分の努力でも救われうるとして、他力プラス自力の立場をとる』
と説明しているが、特にこのプロテスタントの人々からすれば、イエス・キリストこそが、自分の指標そのものなのである。私の両親は、そのどちらでもない、独特のものだった。そして中学生の頃、
母親
と言った時は、私の頭がショートしたものだった。それから10数年経ち、私はこじれにこじれた人生を前に進めるために、『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
そして、世の偉人たちの言葉と向き合った。
もちろん今もまだその途中だが、ある程度見識のついた自分の目で、もう一度自分の両親(父親はすでに亡くなったが)の宗教に目を向けると、かつては、これ見よがしにテーブルの上に聖書が置いてあり、まるで、『それを見ろ』と言わんばかりの遠まわしな手口が、ただただひたすらに反発心を煽って、拒絶反応が出ていたはずなのに、前述した偉人たちの言葉の『本質(結局、彼らは何を言いたいのか)』に向き合った私は、何の抵抗もなく、テーブルの上の宗教関連の書物に目を向けることが出来るようになっていた。すると、そこにあった書類には、こういうことが書いてあった。
『私たちがやっているのは宗教ではなく、信仰なのです。』
なんだ。こういうスローガンが10年も20年も前からこの集いで言われていたのか。そしてそれを真に受けた母親が、中学生の私にそっくりそのまま伝えたのか。あらゆる条件が重なって、私の頭が混乱したのだ。
私はそれを見てそう思い、腑に落ちた。つまりこういうことだ。広告の神、クロード・ホプキンズは言った。
私の両親は、『目標を達成していなかった』から、あるいは『心に虚無を覚えていた』から、その信仰に目を向けたのだ。だとしたら、私が取るべきスタンスは一つだ。彼らが、実の親だからといって、完璧な人間だと思い込まず、むしろ助言が必要な『迷える子羊』だと思って、敬意こそ払うが、全てを従う必要などなく、それによって苦しめられる必要もなかったのだ。
私からすれば、『信仰』も『宗教』も同じなのであり、別にその二つに差別などない。しかし、彼らはそこに一線を画すことによって、腑に落ち、納得できた。だから、その差をハッキリとさせたい一心で、まだ中学生だった精神未熟な私に、ギリギリの精神状態で、そう言った。そう。私がそれによって、更なる混乱に陥ることを想定できずに。
しかしそれでもいいのだ。何しろ彼らは、『人生の迷える子羊』だったのだから。
父親は肝臓がんで死ぬ前、こう言い残していた。
『人生に心残りがあるとしたら、家庭内の経済的なこと、子供達の結婚する姿を見れなかったこと、そして、自分のやっている信仰を、もっと多くの人々に伝えられなかったことです。』
考えてもらいたい。実の父親が、死に際に、そう言い残して死んでいった。しかし、私はクリスチャンではないのだ。そのことが、どれだけ子供の心を精神的に追い込むことになるだろうか。しかしそれでもいいのだ。何しろ彼は、『人生の迷える子羊』だったのだから。その理論なら、私はこの現実を真正面から直視することが出来た。
人間が道しるべとしているものはなんだろうか。私の両親は、イエス・キリストだ。そして私は、『断固としてそれらに頼らない屈強な自分の信念』だ。私はその燃えたぎるエネルギー一つを原動力にして、これまでのあらゆる艱難辛苦を乗り越えて来た。そして、これからも、予定では最後の一呼吸まで、これを貫く覚悟である。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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