名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
運営者
考察
もちろんそうだ。 人間には『理性』と『野性』がある。私がいつもここに付け加えるのは『女の母性』だ。つまりそうなると、『理性、母性、野性』があるわけだが、このうちで人として尊い順番で並べ替えるなら、
母性→理性→野生
となることは想像がつく。かつて、四川の大地震のとき、ある母親が遺体で見つかった。しかし、その母親の腕の中には、赤ん坊が居たのだ。赤ん坊は生きていた。母親が命を賭して、守り抜いたのだ。母親の携帯電話には遺言が遺されていた。
『私があなたを愛したことを、忘れないでね。』
彼女は、生き延びたいという『理性』に打ち克った。そして、人として最も尊い『母性』でもって、新しい命を守りぬいたのだ。それだけではない。ミズダコは、子供を産んだと同時に、自分の命を落とす。
動物に『理性』はないが、しかしこの行動を『野性』と表現するのは、いささか乱暴である。これは間違いなく『母性』だ。母が子を愛した。ただそれだけのこと。私にはそう見えてならない。だが、例えば、マズローがいう『5F』にもある。
- 逃走欲(Freeing)
- 性欲(Fucking)
- 闘争欲(Fighting)
- 群衆欲(Flocking)
- 食欲(Feeding)
これらの『野生』を失うことが、『人間への道のり』なのだろうか。例えば動物や昆虫生き延びるために、逃げ回って(Freeing)きた。たとえばカメレオンをはじめとする『擬態』はどうだ。シマウマの模様の理由も最近ようやく判明した。天敵から、身を守るためだというのだ。
では、『我々人間は、そんな動物や昆虫とは一線を画す存在。だからこそ、彼らと同じ、野性的であってはならない。』ということになるのであれば、我々は前述したような、一切の行動をとってはならない。そう考えたら、岡部伊都子の言う通りだ。野性がないことが『教養がある』ということにはならない。言うなれば教養とは、『馬に付ける羽目』だ。
『羽目を外す』という言葉は、馬をコントロールする為につけている『羽目』を外したとき、馬が野性に返り、コントロールが効かなくなってしまう状態に例え、人間の理性のタガが外れ、野性的な行動をとってしまうことについて、言い表した表現。野性をコントロールする『羽目』。それが『理性』だ。だとしたら、『5F』があってもいい。それをどれだけ支配(コントロール)出来るかどうかが、その人の『教養』を問う試金石である。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
当サイトにある500人の偉人の8000の名言は、ぎゅっと集約して『38』にまとめられます。人間がいる以上未来永劫廃れることのないこの情報を、決してお見逃しなく。
『38の黄金律』へ
名言一覧
Pickup名言
名言AI
トーマス・フラー『危機が完全に去るまで出帆しようとしない人は決して沖に出ることはない。』 ヴェッケルリン『人生は海、金は船頭である。船頭がいなければ、うまく世渡りができない。』 サ行(偉人一覧)